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アカデミー賞受賞『インターステラー』の概要と考察

1.       はじめに

 このレポートの目的は現代におけるイメージの意味について論じることにある。このレポートではイメージの一種である映画の意味について論じた。具体例として『インターステラー』を考察した。その結果、映画の意味は娯楽と問いかけにあるということが明らかになった。このレポートの構成は、第2章ではインターステラーの概要、第3章ではイメージとしてのインターステラーの意味、第4章では映画だけにある意味、第5章ではまとめと今後の課題を論じる。

2.       インターステラーの概要

 『インターステラー』は2014年に公開された映画で、監督はクリストファーノーラン、監修は理論物理学者のキップ・ソーンである。あらすじは、農作物の間で疫病が流行し、地球は食糧危機に陥っていた。宇宙開発などの科学は軽視され、農業を推進することが求められていた。主人公である元エンジニアは自宅での不審な暗号から、秘密裏に進められていたNASAの計画に参加する。はたして彼はその計画を成功させることができるのか、というものである。

 特筆すべきなのは、映画内で起こる事象はほとんどが物理学的に説明できるという点である。これはノーベル賞も受賞した学者が映画の監修を務めており、映画の内容を物理法則にしたがわせるという点にこだわったからである。こういった点は従来のSF(『スターウォーズ』)などとは一線を画すといえる。

3.       イメージとしての『インターテラー』の意味

 イメージとしての『インターステラー』の意味は二つある。一つ目は娯楽である。『インターステラー』は迫力のあるSF映画として、人々を興奮させ感嘆させる。SF映画は娯楽としての要素が大きい。先述した『スターウォーズ』は迫力のある宇宙物語として有名になった。TV番組としてではなく、映画作品としてSF作品が多く存在するのはその迫力を存分に発揮するためである。娯楽は映画に限らず、ほかのイメージでも存在価値をもたせる要素である。

 二つ目は問いかけである。つまり、作品を見ることが映画のテーマについて考えるきっかけになるということである。『インターステラー』のテーマは三つある。

一つ目は、映画が宇宙や物理に興味を持つきっかけになることである。これは監督であるクリストファーノーランがインタビューで直接述べていたものである。こういった意図があり、作中の現象を物理法則にしたがわせるようにしていたのだ。つまり、映画を見てあの場面はどうなっているのだろうと、興味を持った人が物理を通じて理解できるように作品を作っていたのだ。

 二つ目は、科学の重要性である。『インターステラー』の地球では、食糧危機により科学が軽視されていた。具体的にはNASAが解体されたり、アメリカによる月面着陸の歴史が捏造されていたりした。たしかに、食糧危機で科学にお金を使う余裕がないこともわかるが、現在を充足させるだけでは地球は崩壊してしまう。作中では科学を発展させることで、未来を切り開く重要性を表現していた。これは科学にとどまらず、学問に置き換えても考えることができる。日本でも、目の前のことだけをみて実用性のあるものだけを学校で教えようとする、実学重視の流れが来ているが、もっと広い視野でとらえると、実学重視が危険であることがわかる。例えば、文学部を廃止しようとする運動があったが、文学があるテーマを具体的に表現する手段であることを考えれば、それについて研究する機関を廃止することは表現の手段を失うことと同義である。たった一つの作品が人々を勇気づけ、人々が戦い、人としての権利を獲得してきたことを知っていれば、実学だけをするのは正しいとは言えない。『インターステラー』では科学の重要性がテーマとしてあったが、イメージの意味はあるテーマを表現するための手段といえる。

 三つ目は、愛である。『インターステラー』の大部分は科学や物理に関することであるが、最終場面で重要な要素は愛であった。イメージの一種である映画は、こういった抽象的なものも表現することができる。それは映画が物語であるからだ。物語に紡がれてきた人間関係の中でこそ愛を描くことができる。言語で抽象的なものを語ろうとしても限界があるため、イメージを用いることで人の心の中に愛の存在を生み出すことができる。

 以上のように『インターステラー』におけるテーマは物理学への興味、科学の重要性、愛の三つである。映画をみることでこれらのテーマについて考えることこそが、イメージの意味である。

4.       映画だけにある意味

 映画だけにある意味は、言語とイメージ(ここでのイメージは言語でとらえることのできない想像のこと)の両方を駆使して表現できることである。あることを表現しようとするときに、登場人物に語らせること(言語)と登場人物の表情(イメージ)の二つの手段がある。

 現代思想家であるジャック・ラカンの考えを用いると、世界の在り方は、言語で認識できる象徴界、イメージで認識できる想像界、言語でもイメージでも認識できない現実界の三つに分けられる。映画は、象徴界と想像界を表現できるということである。さらに、映画は言語とイメージでは認識できない現実界も表現できる。『インターステラー』のテーマでいえば、愛は現実界に該当する。つまり、作中において言語でもイメージでも愛を直接表現することはできないが、間接的には表現できる。具体的に言うと、映画では愛によって人類が救われたが、その過程を言語やイメージで表現することには失敗している。しかし、よくわからなかったが人類は救われたという非合理的な結末に、愛をなんとなく感じ取ることができるのだ。したがって、映画の意味は言語化とイメージ化をできる点にある。さらに言えば、言語化とイメージ化の失敗により、本来言語とイメージでは認識できない愛のようなものも表現できる点にある。

5.       まとめと今後の課題

 『インターステラー』を考察することで映画の意味を論じた。その結果、映画の意味は娯楽と問いかけにあることが分かった。さらに映画だけにある意味は、言語化とイメージ化であることも明らかになった。今後の課題としては、本論文で考察したのは一作品だけであったため、その他の作品からも現代におけるイメージについて考察したい。

参考文献

・ワーナーブラザーズ、「インターステラー」https://warnerbros.co.jp/home_entertainment/detail.php?title_id=4366/

(最終検索日2022年11月27日)

・千葉雅也、『現代思想入門』、講談社、2022年

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