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【広告本読書録:111】ささるアイディア。なぜ彼らは「新しい答え」を思いつけるのか

松永光弘 編著 誠文堂新光社 発行

ぼくは『広告をつくらないコピーライター』を名乗っています。じゃあ何をつくっているのか、というと「企業と人をむすぶ言葉」です。

アウトプットは企業のミッション・ビジョン・行動指針だったり、コーポレートスローガンだったり。あるいはトップインタビュー、社員インタビューといった採用広報コンテンツなど。社内外問わず企業と人をむすぶ言葉を探して紡ぎます。

この仕事、人に説明すると「つまりライターさんなんですね」と言われることが多いです。

でも、自分の中ではちょっと違っていて。ライターではなくて、あくまでコピーライター。それって何が違うのよ、勝手なこだわりなんじゃない?って思われるかもしれません。

誤解を恐れずにいえば、ライターやコラムニストのように文章の上手さや面白さでは勝負していない。もちろんエッセイストや作家のようにあふれんばかりの表現欲求を抱えているわけでもないし文学性すらない。

その代わり、課題を解決するためのアイディアは出します。それはもう懸命に。クライアントから求められていなくてもわざわざ課題を設定して、アイディアが必要な状況を作るほど。

しかし、そこまでこだわっておきながら「貴殿にとってのアイディアとは何か。300文字以内で書け」という問いかけには即答できずにいます。

なんといってもアイディアってヤツは目に見えない。それでいつも一流のクリエイターからなんらかのヒントをいただくために、こういう本にすがるというわけです。

と、いうことで期せずしてゾロ目、なんとなく縁起のいい111回目にご紹介する広告本は『ささるアイディア。なぜ彼らは「新しい答え」を思いつけるのか』(以下『ささるアイディア。』)です。

編著者は広告本読書録ではおなじみの松永光弘さん。ぼくの本棚には松永さんの手による広告本がたくさんあり、現役時代からいま(引退してないけど)に至るまで幾度となく頼ってきました。そういう意味でぼくは松永さんに間接的に育てていただいたと思っています。報恩感謝。

2005年→2021年

さてこの『ささるアイディア。』ですが、さまざまな業界で活躍する旬なクリエイターに松永さん自らが問いを投げかけ、文字通り「ささるアイディア」のお作法を炙り出しています。

それぞれの分野での第一人者が語るそれはまさに目から鱗が落ちるものばかり。そしてそれを俯瞰して一度に見ることができるという、なんとも刺激的かつ贅沢な一冊に仕上がっています。

それらのアイデアの欠片がどんなものなのかとりあげて、この本の素晴らしさを説くのはすでに他の方がやっていますのでそちらに譲るとして。

実はこの『ささるアイディア。』には兄貴分たる本があります。以下、松永さんのあとがき「おわりに」から引用します。

本書には、じつは原点ともいえる1冊の本があります。2005年に刊行された『ひとつ上のアイディア。』(インプレス刊)がそれです。「でっかいどう。北海道」、「恋を何年、休んでますか。」などの伝説的な広告で知られたコピーライターの眞木準さんを旗振り役に、広告業界を中心とした20人のクリエイターがそれぞれのアイディア論を語ったもので、当時まだ若かったぼくが企画し、編集を担当しました。
『ささるアイディア。』おわりに P252より

今回はこの兄貴本『ひとつ上のアイディア。』と『ささるアイディア。(以下『ささる』)』を読み比べることで、アイディアやそれを語るクリエイターの変遷について考えてみたいと思います。

『ひとつ上のアイディア(以下『ひとつ』)』は広告本読書録にも書かせていただいた通り、折に触れてページをめくった一冊。マジで使える広告本としていまだに何度も読み返してます。

そして『ひとつ』から16年の時を経て世に出たのが『ささる』です。『ひとつ』の初版発行は2005年11月11日で『ささる』は2021年12月13日。16年と1ヶ月後ということになりますね。計算間違ってたらすみません。算数苦手。

ちなみに『ひとつ』が生まれるきっかけとなったコンセプトがめちゃくちゃ秀逸です。ぜひ『ささる』を買って「おわりに」を読んでみてください。なるほど!とはたひざ間違いなし。

語り手の変遷

まずぼくがこの2冊を比べて最初に思ったのは語り手の顔ぶれの移ろいです。『ひとつ』に登場するクリエイターは眞木さん入れて20名。そのうちいわゆる広告の世界で活躍する人は17名です。ほとんどですね。

肩書きもわかりやすい。コピーライター、デザイナー、クリエイティブディレクター、アートディレクター、CMディレクター。おなじみです。

一方『ささる』は松永さん含めて16名。そのうち広告をバックボーンとする方はわずか6名です。しかもその6名も活躍のフィールドは広告に留まらず、商品企画やブランディング、果ては経営支援など、より川上に向かっています。

そんな『ささる』に登場するクリエイターの肩書きを一部ご紹介すると編集者、オーナーシェフ、ホテルプロデューサー、建築家、AR開発者、動画プロデューサー、企業経営者、街づくりディレクター…

もちろんクリエイティブディレクターという肩書きの方もいますが、それはいわゆる「広告の」とはやや異なり、もっと広義のクリエイティブディレクションを指しているように見えます。

こうやって眺めると『ひとつ』に比べて『ささる』では、ものをつくるという共通項こそあれど見事にバラバラといいますか、世の中のいろいろな分野で活躍する職業人が顔を揃えていることがわかります。

松永さんも書いておられますが、このことはアイディアが求められる場が単純に広告クリエイティブの領域だけでなく社会のあらゆる分野に広がっていることの証左ではないでしょうか。

アイディアを取り巻く状況は、たしかに2005年とここ数年とでは大きくちがっています。アイディアやクリエイティブというものが社会全般で広く重視されるようになり、かつてはクリエイティブティをそれほど重んじていなかった一般的な企業や行政の人たちからも、アイディアに関する疑問や悩みを聞かされることが多くなりました。
『ささるアイディア。』おわりに P252より

アイディアは編集から生まれる?

このようにアイディアが活用される目的が一企業が収益を上げるためだけでなく、社会全体を動かすチカラになる流れはカンヌライオンズにおけるソーシャルグッドへの文脈と照らし合わせると非常に興味深い。なんて書くとカッコいい雰囲気が漂ってくるのでやめます。

『ささる』の各クリエイターがご開陳してくれるアイディアづくりのお作法は、本当に人それぞれ。いろんな角度、視点、思考の深め方があり、どれをとってもすぐにマネがしたくなります。でも簡単にマネできないものであることも事実。

ここでも『ひとつ』と比較すると、『ひとつ』のほうは職種特性に沿って具体的な作法に踏み込んでいるように感じるのですが、『ささる』はより思考というか思想、考え方や視点の部分に力点がおかれているように見えます。個人の感想です。

それなのに、なぜか『ささる』で語られるお作法のほうが、より実践的に感じるんですよね。不思議なことに。

そこで、それぞれの御仁がなさっていることを文字通り俯瞰して、そこになんらかの法則や共通項はないものかと目を皿にしてみました。

するとおぼろげながら見えてきたものがある。

それは、みなさんアプローチこそいろいろあれど、やっていることはいずれも「編集」なのではないか、ということ。

ここでぼくが言う「編集」はいわゆる本や雑誌を作るための編集作業ではなくて、なんというかその、情報とか考え方のエディットといいますか…

そうだ!それこそ以前紹介したこの本にくわしく書かれています。そうそう、これも期せずして松永さんの著作でした。

サブタイトルにもある「クリエイティブな人たちは実は編集している」が文字通り、この『ささる』で各界のクリエイターが語っていることの共通項にあたるのではないか、と思ったのです。

徹底的に調査する、クライアントの課題を疑う、自問自答する、組織で取り組む、違和感を手がかりにする、ものさしを見つける、文法に当てはめる、俯瞰して考える、雑談で化学反応を起こす…やり方はさまざまですが、そこで何が起こっているかというと、それは「編集」じゃないか。

もしかしたら違うかもしれないのですが、いまの時点でのぼくはそう感じているのです。個人の感想です。大事なことなので二回言いました。

その仮説をもとに

ふたたび『ひとつ』に戻ってみます。いまから16年前、アイディアがまだ広告業界の専売特許だった頃。アイディアのお話の中に「編集」というキーワードは出てきていたか。

出ていました。

博報堂のエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター、小沢正光さんが語るアイディアの作法の中に。

小沢さんいわく、頭の中に編集室があるとのこと。しかしそのためには素材のストックが必要。写真や映画のシーン、ナレーション、音楽などがクライアントからの課題を受けたときに浮かび、頭の中でつなぎ合わせがはじまるというのです。

その瞬間に向けてどれだけストックができているのか、どれだけ潤滑かつ適切に出し入れできるのか、どれだけ上手く編集作業ができるのか、が勝負であると。

アイディアマンと呼ばれる人や、クリエイターとしてすぐれたアイディアを出している人は、それら素材の蓄積やアレンジが上手いといいます。

小沢さんはあくまでご自身がCMを作ってきた経験があるから、という前置きで編集あるいは編集作業という言葉を使っています。

ただ、それを差し引いても、ぼくが読む限りでは『ささる』に登場するクリエイターのみなさんがやっていることと、ここで小沢さんがおっしゃっていることは、深いところでつながっていると思えてなりません。

『ひとつ』のクリエイターも『ささる』のクリエイターも、オリエンから浮かび上がる課題=問いをタテ・ヨコ・ナナメさまざまな角度から検証し、時代の空気にさらしながら自分がストックしてきた素材をアレンジしてくっつけたり、切り取ったり…

そういった編集を経て、面白いアイディア、人が動くアイディア、社会が変わるアイディアを生み出している。

そこは一緒なんだ、と。

まとまらないのでまとめます

2005年と2021年ではアイディアが求められる場面や状況こそ大きく変わりました。アイディアを編み出す人の裾野も広がったと思います。

ただひとつ、変わらないことがあるとするなら、それはアイディアは人のためになるものである、ということでしょう。

同じように、時間が短縮されたり、空間が広がったり、うれしくなったり、楽しくなったり、快適になったり、かっこよくなったり、おいしくなったりということが起こると、私たちは「タスカル」。アイディアは、この「タスカル」を実現するために考えだされる。そして「タスカル」ものは、広く求められるところとなり、結果として「モウカル」のである。
『ひとつ上のアイディア』イントロダクション P11より
アイディアは思考の産物です。その意味では、たしかに知性から生まれるものといえるかもしれない。でも、知性をはたらかせるだけでは、人にやさしいものにはなりません。知性だけでなく、自分の心に照らして考えることで、アイディアは本当の意味で人びとに歓迎されるもの、ささるものになっていきます。心で考えるからこそ、心にはたらきかけることができるのです。
『ささるアイディア。』おわりに P254より

眞木準さんの『ひとつ』のイントロ。松永さんの『ささる』のおわりに。このふたつの文章は、言葉こそ違えど、そのまなざしが向けられている先は同じなんじゃないかと思うんですよね。

いま、自分が所属している職場や環境で、なんらかのアイディアを求められている人がいたら、ぜひ手にとってほしいのが『ささる』です。そして、お住まいの地域のブックオフや古本屋さん、あるいはアマンゾでもいいので、できれば『ひとつ』も入手してほしい。

『ひとつ』と『ささる』の共通項にこそ、アイディアの正体がある。かもしれない。

それを探しながらページをめくるのもまた楽しい旅なんだよなあ。

ぼくはそんなふうに思いました。

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