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フリーランス歴7年目の私がフリーランスになったわけ

なんだかここのところフリーランスがブームである。

政府も社会も、こぞってフリーランス・フリーランスと言っている気がする。

私は、フリーランスのPRコンサルタント&広報編集者として7年もフリーランスをやっているわけなのですが、はっきり言って、始めたばかりの時は日本社会はこんな空気感ではなかった。

私自身、業務委託と言うことがどんなことなのか全くよく分かっていなかったし、当時のFBでも、「フリーランスで働きます!」と言う宣言はしてない・・・・。(自分でも本当にできるのか?と半信半疑で、かなり中途半端な宣言をしている・・・)。

当時、私はとあるブライダルの会社で広報をしていた

ずっとマネージャーとして働いていたけれども、時短を取るとマネージャーになれないと言う規則?で、アシスタントマネージャーの肩書きだった。でもやっていることはそれほど変わっていないと思っていた。(いや、自分がそう思いたかっただけかもしれない)

子どもを実家に預けて海外出張もなんどもしていた。「子どもが生まれてからも、私の働き方は変わらない」

そう言いたかったんだと思う。でもふと、「子どもを実家に預けて、海外出張ができるのって、保育園の間だけでは?」と言う考えが頭をよぎった。

夫は商社に勤めていて、夫は夫でしょっちゅう海外に行っている。実家が近くになく、夫婦で子育てをしなければいけない形で、この働き方は続いて行かないとまず思った。

そして、当時、海外の事務所ともやり取りをしていたので、土日に連絡が来ると言うことは少なくなかった。私にとっては、これが一番辛かった。

人それぞれ、仕事に対する優先事項は違う。そして、子どもと言う存在ができると、その優先順位がクリアになる。

「平日は仕事をしているのだから、土日くらいは仕事のことは考えず、家族と向き合いたい」と言うのが、私がかなり重視している優先事項なのだと思う。だから今でも、土日の仕事はあまり入れていない。

話が少しずれました。

そして、夫が言った一言が、私がフリーランスに踏み出すきっかけになった。

「家庭の中で、サラリーマンが一人いるなら、一人はもっと自由な働き方をしてもいいと思う。きっと、それができるはず。」

こうして私はフリーランスの世界に足を一歩踏み入れた。

確か、最初の月は、10万円も稼げていなかった思う。

ただ、数ヶ月でクリアするようになり、そこで心も安定した。「大丈夫、きっとやっていける。」

もし、フリーランスになろうか迷っている人がいたら、強く言いたいことがある。

「まずはやってみて!ダメかどうかなんてやってみないと分からないから」

確実に、着実に、私の時よりも土台は整っているはずだから。

まあでも、誰にでもフリーランスが合うわけではないし、フリーランスだからこその限界もあると思う。と言うわけで、このシリーズもう少し続きます。


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