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人の目を気にする者こそ、演じる習慣を持てると良い

みなさんは普段、どのようにして感情を爆発させているのだろうか。

社会人になると尚の事、思いっきり泣いたり怒ったりと、気兼ねなく感情をむき出しにできる機会が減る。そうはしたいと思うものの、「大人」になって社会的立場を気にし躊躇ってしまう。人の目が気になってしまう者こそ、その傾向が強い気がしている。

しかし、舞台の上では、あなたがどんな立場であれ、自由に感情を出すことができる。だから人の目を気にする者こそ、演じる習慣を持てると良いのではないだろうか。

僕が舞台で演じる理由

僕は年に一度、役者として舞台の上で演じている。それも今年で3年目。

正直、体は思ったように動いてくれないし、演技は上手い方ではない。それでも気にせず演劇を続けている。専ら、普段出しづらい感情を全身で思いっきり表現でき、無意識に蓄積したストレスを解消できるからだ。

僕は僕として直接的に感情を表現することが苦手だ。人前で笑うことは辛うじてできるが、泣いたり怒ったりすることは躊躇ってしまう。ダンスなんてものも苦手意識が強すぎてできない。

しかし、舞台の上に居る自分は、ある種「自分」ではない。身体は確かに自分だが、人格は他の誰か。自分とは切り離して、何者にでもなれる。

だから、新人エンジニア、やり手の銀行マン、70代のお爺さん、20代の清楚女性・・・と、今まで様々な人格を得ては、自由に泣いたり怒ったり、時には奇天烈な踊りを披露したりした。どれも自分とは異なる存在であるからこそ、立場を気にせず思い切って表現することができる。

自由に演じられる場が増えればいいのに

とはいえ、そもそも舞台に立ったことのない人間がいきなり劇団に所属して演じるのは、あまりにもハードルが高すぎると思う。経験があったとしても、ハードルは高い。

僕は幸い、大学時代のインターン先の社長が脚本家であったがゆえに機会を得ることができた。イレギュラーなパターンだと思う。


気軽に劇団に所属することが難しいのであれば、一つの演劇の作品を作ることを目的とせず、何らか自由に演じられる場が増えれば良いのに、と感じる。例えば、短日で参加できる演劇系のワークショップをつくるとか、何なら劇から逸脱し、とにかく大きな声をだして、喜怒哀楽を惜しみなく開放できる施設をつくるとか。

気軽に自由に演じられる場が増えることで、人目を気にしてストレスを溜めてしまっている方は少しだけでも心が晴れやかになれるのではないだろうか。

仮に「人の目を気にする」がコンプレックスだったとして克服したいとしたら、気軽に演じる場を増やすことが根本治療にはなり得ないかもしれない。しかし、克服するきっかけとしては十分だろう。


今日も本番に向けて演技の練習をしながら、こんなことを考える。

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