見出し画像

足跡日記👣§16 関さんとの対話を終えて

 今日は福島県二本松市の東和地区でオーガニック農業を営んでいる関元弘さんにインタビューをした。東和地区は典型的な中山間地域で、大規模に水田耕作をするには適していない。関さんはここで少量多品種の有機野菜のみを育てている。

 関さんは元々農水省に勤務されていた。東和地区はその時、研修で来ていた場所で、この場所が自分に合っている感覚があったらしい。農水省を辞め、2006年に夫婦で東和に移住し、畑作を始めた。現在は二人のお子さんがいて、育児も行っている。

 会話を始めるとすぐに、関さんはとても思慮深く、洞察の鋭い方だとわかった。私は今まで何人かの有機農家の方とお話してきたが、省庁に勤めていたというユニークな経歴もあって、穿った考えを展開していた。今回はその中で、特に興味深いと思った見方や、これからの農村社会の鍵となりそうな考えを、私の考えを適宜織り交ぜながら記していこうと思う。

典型的な中山間地域にある関さんの農場

 一つ目は、関さんは「境界を接ぐ」事を大事にしていることだ。前述したように、関さんは大学では農業工学や農村経営を学んでいたが、卒業後は前述の通り農水省に勤めた。そして今まで殆ど所縁の無かった東和に移住し、数少ない有機農業をしようとする、「よそ者」「若者」「変わり者(ばか者)」だったのである。しかしそのユニーク性ゆえに、関さんは農村の感覚と都会の感覚の境界を渡り、現場の実情と役所での経験を交叉させ、アソシエーションを創設して多様なアクターを緩やかに繋ぐことに成功した。元来植物学・生物学・社会学・経済学・経営学・哲学・心理学などの多様な学問を包摂する農学において、そのどれかを偏重することなく、考えを一元化せずに柔軟に思考し、行動できるのが、関さんの強みの一つであると思った。

 二つ目に、有機農業が日本で漸くConceptualization(概念化)し、人口に膾炙し始めたのは、大きな一歩だということだ。1970年代の農薬の過剰利用、濫用による食の安全性に警鐘が鳴らされ、日本有機農業研究会が発足してから昨今に至るまで、日本で有機農業が日の目を浴びる事は少なかった(そもそも「有機農業」という用語は、1971年に一樂照雄が考案したものである)。しかし2006年に農林水産省が「有機農業推進法」を策定し、2022年に発表された「みどりの食糧戦略システム」では、有機農業の発展が枢要な位置づけとして記されている。多くの農業関係者から「実質を伴わない錦の御旗」と揶揄されることの多いみどり戦略であるが、このように有機農業が一般化され、スティグマが取り除かれてきたことは、非常に重要だと関さんは言う。

関さんは8羽養鶏している。ちょこまかとついてくるのがいじらしい。

 三つ目は、「地域のための個人ではなく、個人のための地域」を志向することの大切さだ。関さんは「これは私にとってコペルニクス的転回だった」と述懐する。価値や魅力のない場所には誰も惹かれない。”地域創生”とは名ばかりに手を拱くのは以ての外だが、「地域興しをしたい人募集!」とばかり銘打って、蓋を開ければ上意下達のなすりつけでは移住者は増えない。あるいは、地域のコミュニティをとりわけ助成するだけでもダメだ。大切なのは、夢を持つ外部の人に対して惜しみなく支援し、Noを突きつけないこと。その人が自己実現を達成するのに、この地域が最適な場だと思わせるよう施策を講じることである。またこの事は、地域創生を志願する新規参入者についても言える事だ。「地域のために貢献しなくちゃ」というhave to(passive)の考えを棄て、「自分の夢を叶えて、波及的に地域を良くしよう」というwill(active)の精神にて取り組むこと。利他に重きをおいた行動は、どうしてもアンサステナブルになってしまう。

 そして最後に、関さんに今後の展望を訊いてところ、「物質循環を究める」ことだと言っていた。「何もない」と見限られる事の多い中山間地域だが、正しく言えば「現在の知見や技術下においては何の資源もない」ということだ。但し実際は、その地域に根差してきた人々は、その地域の価値を直感的あるいは経験的に気づき、それらを口承したり、地名に遺してきた。また上に書いた「資源」とは、得てして経済的な視座によるものであり、経済的には無価値だとしても、住民や地域にとっては価値のあるものだという事例は往々にして存在する。関さんはこれについて、「里山という無限ながら未利用な資源をいかに使い、地域単位の物質循環をいかに促進させていくか」が今後の展望であると語っていた。

 関さんは50を優に超えているが、今後は福島大学で新設される食農学類の修士コースを履修するのだそうだ。大学院では、これまでの経験や地域での取り組みを総動員させて、東和に眠る資源を可視化し、地域のリソースマップを作成したいのだという。そしてそのノウハウを確立させ、他の地域にも展開できれば、広く地域創生に資することができるし、地域のユニーク性やレジリエンスを高める事ができる、と語っていた。私は一連のやり取りに終始感銘を受け、薫陶を受けながら、私の故郷と指呼の間にある東和地区を後にした。

インタビューにお答えいただいた関元弘さん(引用元: https://autabi.com/host/)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?