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僕の好きな詩について。第四十六回 立原道造

僕の好きな詩や詩人について好き放題言うnote、第四十六回は、立原道造です。夭逝した詩人であり建築家でもあった彼の清新な言葉に耳を傾けてみてください。


ではどうぞ。

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のちのおもひに

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
 ──そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう



またある夜に

私らはたたずむであらう 霧のなかに
霧は山の沖にながれ 月のおもを
投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう
灰の帷のやうに

私らは別れるであらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会った
雲のやうに 私らは忘れるであらう
水脈のやうに

その道は銀の道 私らは行くであらう
ひとりはなれ……(ひとりはひとりを
夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)

私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
月のかがみはあのよるをうつしてゐると
私らはそれをくりかへすであらう


晩秋

あはれな 僕の魂よ
おそい秋の午后には 行くがいい
建築と建築とが さびしい影を曳いてゐる
人どほりのすくない 裏道を

雲鳥くもとりを高く飛ばせてゐる
落葉をかなしく舞はせてゐる
あの郷愁の歌の心のままに 僕よ
おまへは 限りなくつつましくあるがいい

おまへが 友を呼ばうと 拒まうと
おまへは 永久孤独に 餓ゑてゐるであらう
行くがいい けふの落日のときまで

すくなかつたいくつもの風景たちが
おまへの歩みを ささへるであらう
おまへは そして 自分を護りながら泣くであらう


夢みたものは

夢見たものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある 
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが 
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りををどつてゐる

告げて うたつてゐるのは 
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

夢見たものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

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凄く清潔で清涼感のある詩たち。

立原道造と言えば4-4-3-3の14行詩のソネット形式の使い手でお馴染みですが、それは彼が建築家であったから設計図に拘ったのではないか、と僕は勘ぐっています。

立原道造は中原中也や萩原朔太郎も大活躍した同人誌「四季」に澄んだ風を吹き込んだ存在で、彼が結核で24歳で他界して「四季」は穴が空いたように、誌面から何かを喪なったと言います。

埼玉は西浦和の別所沼公園には、彼が別荘として設計した「ヒアシンスハウス」という建物があり、水土日の10~15時であれば中に入れるとのことだったので、いつか行きたいとおもいいつつこんなご時世。咳をすると変な眼で見られる間は、肺を病んだ詩聖のゆかりには、なにか申し訳なく、行きづらいものです。

いつか詩集を出したいと思っています。その資金に充てさせていただきますので、よろしければサポートをお願いいたします。