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詩誌評『月の未明 Vol.9』

詩人 原島里枝さんの個人詩誌『月の未明 Vol.9』に詩を一編寄稿させていただきました。

私はまだ無名極まる、しがなさ100%の詩人なので、私の詩が掲載されたことによって拡販の助力と成ることはできかねますが、せめて詩誌評を書かせていただければと思います。よろしければ最後までお付き合いくださいませ。

『月の未明 Vol.9』は原島さん自身の詩3編と(私を含む)ゲスト3名の詩、及び編集後記で構成されております。特色と呼ばれるシアン・マゼンダ・イエロー・ブラックの通常のインクでは作ることのできない色味(+カラー)を使った印刷で、表紙にあたる折り返し部等のシャンパンゴールドと目次ページ等のメタリックパープル(2つの色名は黒崎の感性で命名しております)が気品を持って目に飛び込みます。

全16ページの蛇腹折りの手の込んだ詩誌で、まるで風雅な屏風や上質な着物の帯のようです。 表紙から自然に蛇腹を広げていくと、真っ先に私の詩「十月のヘリオトロープ」が目に入ります。

『月の未明』に載せていただくのであれば、「月」か「未明」は素材として使いたいな、という気持ちと、原島さん自身や、既刊の「月の未明」の上品な雰囲気を尊重したいな、という意図で書かせていただきました。

ヘリオトロープは、ハーブに分類される薫りの良い紫の可愛い花で、ギリシャ語で「太陽に向かう」という意味の言葉が名前の由来になっています。「未明」とは時が太陽に向かって進んでいく頃を言うわけなので、しっくりです。

(ちなみに、「10月の」なのは、もともと本詩誌の発行が10月1日の予定だったからですが、やや発売が早まり、早く手にとることができて良かったな、と個人的に思っています。)詩の内容と目次から続く紫が調和して、良い感じです。さすが原島さん。装丁も巧みです。

ちなみに、「10月のヘリオトロープ」の文体や書き味はシュペルヴィエルと城戸朱理さんを意識しています。これは機密事項です。

続いて佐々木漣さんの「未明」という作品。

本誌のプロフィール欄で知ったのですが、佐々木さんは私と同年齢で、親近感です。詩作品「未明」は、同音異義語や反復を使用することでリズムを出し、不穏な夜明けへの警句を歌っており、島崎藤村の「夜明け前」を連想させます。

虹(光)を、自身の頭で考えて選び取れ。さもなくば黒一色の闇の時代が来るぞ。そのようなシリアスさが諧謔と暗喩の底に横たわっています。

ゲスト作品の最後を担うのは雪柳あうこさんの「月を飲む」

駅のホームから電車に乗り込むまでの短い間の感受を伝聞の形を用いて詩作品に落とし込み、東京/都会、ひいては仕事/労働というものの空虚さや倦怠感を、月が暗喩する詩(や感動によるエネルギーをあたえるもの)によって浄化しつつ、前向きな姿勢へと移行していくカタルシス詩です。

ほとほと疲れ果てている時に(特に)読みたい作品です。

原島さんの詩は「すきですね」という作品が嚆矢です。

好きなのかと思いきや、それだけではない意味の多重性に、ほほう、と唸ってしまいます。各スタンザ5行で出だしの韻を揃え、中央の1行は( )で閉じられており(それもひとつのスキですね)技巧が光る一品です。

続いての詩は「海へのメヌエット」。

メヌエットは穏やかな三拍子で(バッハのものが有名でしょうか)本詩の言葉のリズムも三拍子を彷彿とさせ、感情過多に陥りやすい鎮魂の営為から詩情を守っています。読者は海にたゆたうように言葉のアンジュレーションにやわらかく翻弄されます

『月の未明 Vol.9』最後の詩作品は「帰途」

秋の風を匂わせ、オノマトペで読者に「音を見せ」て、携帯電話からの声の視覚化=光化の印象を強め、希望を持った未来へと言葉を流していきます。この詩の主人公は家路への帰途についていますが、筆者の原島さん自身もこの詩によって、「家」が象徴する安定や安心へと帰っていくかのようです。

そのあとの「編集後記・雑感/今とこれから」によると、月の未明プロジェクトは残念ながら次号Vol.10でいったん終了とのこと。

Vol.9はゲストを招いた最後の作品(となる予定)で、そのようなモニュメンタルな号に寄稿させていただけたことは非常に光栄でした。

これからも原島さんには心身の健康に留意していただきつつ、素晴らしい作品を紡いでほしいと、いちファンとして、強く思います。

おわり

いつか詩集を出したいと思っています。その資金に充てさせていただきますので、よろしければサポートをお願いいたします。