見出し画像

中学受験とその後の人生

子どもの日々の教育についてカリキュラム(?)を考えつつ、ドリルをプリントしたり学習時間を捻出したり、どんどんと「こなす」ことが増えてきたのでちょっと立ち止まって考えてみる。

過酷な韓国の教育事情

教育ジャーナリストのknockoutさんが、先日voicyで韓国の教育とキャリアについて解説をしていました。すさまじいですね韓国。

韓国の現状を、ざっくりまとめるとこんな感じです。
・中小企業と大企業で、賃金が雲泥の差
・大企業に入っても振るわなければ50歳で肩たたき(退職勧告)
・年金開始が62歳から(退職した後の12年間、どうするんだろう…)

このような状況なので、親は子にできる限り最高の教育を与えようとする。当然の結果、少子化が止まらない。社会にも自分にも、先行きに不安があると積極的に子どもを持ちたいとは思わないですよね…。

日本も似たような状況なのでは

これってすごく日本の状況と似ていると思うのですよ。knockoutさんも「もしかしたら10年、15年後の日本もこうなっているかもしれない」と仰っていました。

年金は薄いながらも、まだ終身雇用や再雇用が機能していて社会保障制度が細々とでもある分、いくらか今はマシかもしれませんが、それでも私ならくじけているなと思いました。自死率が高いのも納得のヒリヒリ具合です。

ボールは遠くに投げておきたい

賛否ありますが日本の中学受験は「JTCに戦力になるための教育」と言われます。私はそれは悪いことではないと思うのですよ。実際まだまだ強いですしね、JTC。半国営の企業で国力をアップさせることは素晴らしいと思います。福利厚生も充実しているし、最高だと思います。

ただ、席がない。当然ですが、JTCに向かって一直線で勉強をしても、全員が希望の企業に入れるとは限りません。

そもそも入ったあとどうするの? 女性にしても25歳で寿退社、子どもを産んで専業主婦で…という昭和のルートはもうないわけです。長い社会人人生、「これをしたい」がないとあっという間に折れるか、どんどんすり減ってしまう。

「食える」大人になるために

高濱先生がおっしゃっていることですが「食える大人に育てる」というのが教育理念としてあります。親がなくても生きていけるように育てたい。
そのためには「私はこれをやりたい」というのを、日々の勉強と一緒に育んでいかなくてはいけないと思うのですよ。

それができているのかな…?というのが、私の目下の不安であり、教育の課題でもあります。

中学受験は競馬ではあるけれど

先日、中学受験を競馬に例えるポストがX(旧Twitter)でありましたが、言いえて妙だと思いました。でもね、レースが終わった後もその馬の人生は続くんですよね。しかもいつかは自分の足で選択して考えていかなくてはいけない。
その時に歩ける子にしていきたいなと思いつつ、日々試行錯誤をしているのであります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?