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私の中学受験

実は私も中学受験経験者です。ただそれを周りには言いません。どちらかといえば消したい記憶です。子どもが中学受験をする以上、私のような経験をさせたくない。だからこそ、ここに書いておきます。

別記事でも触れましたが、母はすごく教育熱心な人でした。加えて私も学校の勉強はとてもよくできた。言われたことを素直にやるタイプだったのです。しかし、当時もそうでしたが、学校の勉強と受験用の勉強は別物です。小5で入った代ゼミの集団授業に、私はあっという間についていけなくなりました。

・授業で何を言っているかわからない
・予習復習の仕方がわからない
・知らない場所でいきなり知らない授業が始まる
・できる子たちが最前列で生き生きと質問をしていて居場所がない
・自分が今何をしているのかまったくわからない


これで2年間ずっと通うわけです。
はっきり言って地獄でした。
塾の勉強は一度もしたことがないように思います。
たしか5年生か6年生のころに合宿があったのですが、これもまた「何を言っているかわからない」状態が朝晩ずっと続くので、本当につらかったです。

主体性がないと乗り切れない

中学受験という競争の場に、当人の意思がなく参戦することがそもそもの失敗の始まりです。

「中学受験する?」
「うん、したい!」
このような会話は全く信用ならない。

子どもは「中学受験がどのようなものか」を知らないのです。
そもそも受験とはなにか。何のためにやるのか。日常でできなくなることはなにか。

私は「いい子」だったので、強権的な母が「する?」と聞くならば「イエス」というしかありませんでした。必要以上に空気を読む子どもだったので、母だけのせいにするわけではありませんが、母も「自分の望み通りに子どもが動いてくれた」と思っていたふしはあります。

意思は大いなる羅針盤です。
本人の意思をしっかり確認するまでは本格的な参戦は控えたほうが良いかなと思っています。

中学受験で得られるもの

「挑戦をする」と子ども自身が決めることができたなら、それだけでも「挑んだ」ということで十分な価値があると思っています。私のように、挑んだかどうかすらよくわからず「時間よ早く過ぎろ」と願って椅子に座ったふりをしているのは、一番のムダです。ごめんね、昔の自分。

中学受験は競争なので、負けるということを経験しなくてはいけない。クラス昇降かもしれないし、模試の成績かもしれない。本番前にも負けを経験して強くなる。その「負け」をどうとらえるか。トラウマにしてしまうのか、そこから前に進むことができるのか。

私は明確な負けを突き付けられる前に逃げる癖がついてしまったので、負けて泣けるというのは素晴らしいことだと思っています。
まずはそれをサポートできるような親子関係でありたいと思います。

過去の供養のため、私のようなお金と時間を無駄にする受験親子を少しでも少なくなるよう祈りを込めて書きました。
子どもの意思、本当に大事!


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