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輝く雪の降る場所で

台風が来て去って、今日は少し涼しくなった。夕方の空を見て、そろそろ秋らしくなるかななんて思っていたら、天気予報では今後暑さが戻るでしょうとか言っている。
もうイヤんなっちゃうので、雪山の話でもしよう(無理矢理)。

先日読み終わってここにも感想文を書いた『魔の山』に、すごく印象的というか、意外とさえ思えるエピソードがあった。
主人公ハンス・カストルプが、療養中の身であるにもかかわらず、雪山へスキーに出かけて行くのだ。当然サナトリウムではそんなこと許可してないので、街で揃えたスキー用具一式を友人のところで預かっておいてもらい、一旦そこで支度を整えてから山へ入って行くのである。
サナトリウムはスイスアルプスにあるので、娯楽施設としてのスキー場は当然ある。だが、ハンス・カストルプが滑るのは整備されたコースではなく、ただの山だ。なのでまあまあ峻厳で、初心者向きとは到底言えない。
最初はおっかなびっくりだったハンス・カストルプは、慣れてくるに従って弾丸スキーヤーとなり、もっと高くもっと遠くへと、どこまでも滑って行こうとする。
大雪のさなか、普通に考えたら死んでる勢いで道に迷ったりもするのだが、雪山遭難は本筋ではないので主人公は凍傷すら負わない。しもやけぐらいはあったのかもしれないが、サナトリウムで温まってかゆくて気が狂いそう、みたいな場面はなかった。
昔の文学作品の主人公といえば、常に思弁的で精神面も行動面も引きこもりがちなイメージだったので、スキーをしようという発想に至ること、更にひたすら練習して上達していくのがとても意外だった。
ちょっとしたギャップ萌えだ。
このハンス・カストルプのスキーをめぐる冒険は、雪山についての印象深いエピソードとして、私の心にファイリングされた。

もうひとつ、雪山の話をするときに絶対に外せない映画がある。
スタンリー・キューブリックの『シャイニング(The Shining)』だ。
スティーブン・キングの原作も読んだが、ここは敢えて”キューブリックの”『シャイニング』と言いたい。
私は何しろこの映画が大好きで、冬に雪が降ると必ず観る。ワンシーズンに3回雪が降れば3回観るし、二日続けて降ったら二日続けて観る。もし豪雪地帯に住んでいたらえらいことになっていただろう。

冬の間は雪に閉ざされ、外部との連絡は無線だけが頼りの豪奢なホテル。春になり道路が開通するまで営業は停止するので、訪れる人はなく、出て行くことも出来ない。そんな環境がむしろ執筆には好都合と考えた作家のジャック・トランスは、妻と息子を伴って”オーバールック・ホテル”の管理人の仕事に就く。息子のダニーには、トニーという名の『友達』がいて、ホテルについて何事かを察知しているが、それをダニーに教えてはくれない。やがてトランス一家は(主にジャックは)、ホテルそのものが持つ力に影響され、じわじわと精神を蝕まれていく。

原作者のスティーブン・キングは、この映画の出来に納得せず、後年自らが制作総指揮を務めてドラマ版を撮っている。そちらも観たことがあるが、キューブリック版の方がより『キング的』であるなと感じた。
原作者が誰よりも自作を理解していることに異論はないが、それを映像作品という手法で他人に伝えるのはまた別の話だ。
原作を読んだとき、キングが怒るのも無理ないなと思い、原作ファンにも評判が悪いのもさもありなんと思った。原作では、ホテルが怖いとかジャックがヤバいとかいう以外にも(それ以上にとも言える)丁寧に書かれていることがあり、それはとても重要な箇所だった。ここを省いてしまうと、話の意味が全く変わってくる。だがキューブリックは、その部分を思い切りよくばっさり切ってしまっている。
そりゃあ不本意だし激おこにもなろう。
だが、そこを削ぎ落としたからこそ、映画は成功したのではないかと思う。キング本人の意図はどうあれ、『キング・オブ・モダンホラー』と呼ばれる作家に世間が求めるイメージを、キューブリックは見事に描き出している。
ゆっくりと姿を現すホテルの悪意、狂っていくジャック・トランス、母と息子を襲う恐怖と暴力。ストイックな演出と映像で見せる約2時間は、キューブリックの美学に満ちている。

そして実はこの映画で一番怖いのは、予告編じゃないかと思っている。効果音も台詞もない短い映像なのだが、下手すると本編よりも怖いのではないか。不意に夢に出てきてうなされそうだ。
れどらむれどらむ(くわばらくわばら、の意)。

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