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3/7(木) 詩人は出社する

寺山修司が「人は自分で名乗った瞬間から詩人なのだ」みたいなことを言っていた記憶がある。
確かにそうだ。政治家でも小学生でも痴呆症の老人でも無職でも、自分が「詩人だ」と言えば詩人なのだ。

私は中学生の時から詩人をしている。主に退屈な授業中。ルーズリーフ(当時はノートよりもルーズリーフを使う方がスマートでかっこいいと思っていた)を引っ張り出しては、今思いついた言葉を書いて並べてみて、時に出来栄えに満足したり、時に「くだらない」と思ったりしていた。

詩というものは厄介なくらいに価値が変動する。人によって評価が変わるのは勿論のこと、自分で読んでみても、日によって「いいな」と思ったり「面白くない」と思ったりする。水よりもずっと気化の早い流動物体。(水との共通点もそれなりにある)

私の中学時代の詩は、可愛いものだ。
背伸びをして、背伸びをして、こむら返りを起こしているのになお、やせ我慢して平気な顔をしているのが分かる。
しかし、たまに「本当に背が高いな」と思わされる瞬間もあったりするのは面白い。

あの頃から少しは身長が伸びた。
もう背伸びをする必要はない。むしろ、足元を見る方が大切だと思っている。

今年で29歳になる。
音楽で詩を書き、風景で詩を書き、一時の感傷で詩を書き、女で詩を書いてきた。
最近は自分の稼ぎに不満を持つようになり、スキルを高めようか、転職しようか、と考え始めている。

何でもいいが、金で詩は書けない。


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