“暗い未来”を予見していたような香港女性の言葉

返還直前の香港で

97年7月1日。香港返還の瞬間は現地に滞在していた。特別番組という巨大プロジェクトの一員で、生放送の直前に担当コーナーの対象者が出演を渋って真っ青になった苦しい思い出がある(最後は説得に応じて出演してくれたので事なきを得たが)。そんな鉄砲玉のような立場では、返還が持っている歴史的な意味合いや香港の将来について思いをはせることなどはとてもできない。これが取材現場のひとつの現実である。

同業他社も集まる現場では時間つぶしで雑談に花が咲くことも多い。他社の通訳だった現地の若い女性が話していた。

「私は、日本人がやっぱり一番幸せだと思う」

日本語を勉強していることからも伺えるように、基本的に彼女は日本が好きなのだろう。そしてバブルはとっくに崩壊していたとはいえ、当時の日本経済はやっぱりキラキラと見えていたのかもしれない。私は「へえ、そんなもんかねえ」程度に受け止めていた。

思えば、彼女はもうその時から香港の将来に暗い影を見ていたのだ。あれから24年。約束されていた「一国二制度」は事実上崩壊した。彼女ももう50歳くらいになっただろう。どんな人生を送ってきたのか。まだ香港にいるのか。

香港は憧れの旅行先だった

今の若い人たちには到底信じられないだろうが、当時の香港は手軽にグルメとショッピングが楽しめる憧れの旅行先だった。エキゾチックで猥雑な街並み、素晴らしい広東料理、ビクトリアピークの夜景、大通りに張り出した高級ブランドの看板たち・・・・。返還後はそれがすっかり凋落して、同僚や友人から「香港に行ってきた」という話をさっぱり聞かなくなった。どれだけ共産中国が嫌いなんだ、日本人。

周庭さんの真っ黒なインスタグラム

デモ扇動などの罪で収監されていた活動家・周庭(アグネス・チョウ)さんが釈放されたのはことしの6月。ほとんどの日本メディアは、日本語を流暢にしゃべるこの可憐な女性を「民主化運動の女神」と名付けて手軽に「消費」することだけで満足していた。「ゆっくり休みたい」と綴った釈放後の彼女のインスタグラムの写真は真っ黒だった。ちょうど彼女は「日本人が一番幸せだと思う」と話していた女性の娘さんくらいの年代にあたる。

残酷な国際社会。香港の人々が被っている運命は決してひとごとではない。アフガニスタン、ミャンマー、北朝鮮・・・。政治に翻弄される人たちが各地にいる。日本がいつそのような事態になっても、まったく不思議ではない。ひとりひとりの個人はこれをしっかり考えないといけないし、メディアも伝え続けなければいけない。いつまでも享受し続けられる平穏さなど、どこにもないのだから。
(21/7/26)


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