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正確な時計を持つ“快感”

元の職場には管理された時計がたくさんあった

生放送をかかえるテレビ局の報道セクションでは、秒単位まで管理された時計が職場のいたるところに掲げられている。しかも表示がすっきりしていて視認性が高い。ちょっと首を捻るだけで正確な時刻が分かるだけに、在籍していた当時は腕時計を見る習慣はなかった。

一転、いまの職場は放送に直結しているわけではないので、管理された時計は存在していない。それどころか、数カ所ある時計ごとに数分ずつバラバラの時刻を表示しているにもかかわらずスタッフ全員が無頓着で、異動してきた直後はかなり驚いたものである。私が数カ月ごとに微修正している。

クオーツ時計登場の衝撃

クオーツ時計は私が子どもの頃に一気に普及した。それまでの腕時計は手巻きか自動巻き。居間の柱時計は振り子式だったので、その精度の高さにびっくりしたものだ。祖母や母が踏み台に乗って分針を直したり振り子の長さを微調整していたのも懐かしい。電波を受信して正確な時刻を保持する時計もいまでは当たり前になった。

117で時刻を確認していた昭和の日々

機械式の時計は放ったらかしにしておくとどんどん狂ってくるものだった。几帳面な人は117に電話して修正していたが、いまの子どもたちはそのようなサービスがあることも知らないだろう。天気予報177にもずいぶんお世話になった。

数年前にテレビ番組で「ひと昔前の常識を若者に教えてあげたい件」として117時報サービスを取り上げたところ、お試しをする人が多かったのだろう、放送直後に回線がつながりにくくなったという。

117時報サービスが始まったのは1955年6月10日「時の記念日」からだそうだが、それ以前はみなさんどうやって正確な時刻を覚知していたのだろう?

そういえばNHKは正午のニュース直前などに秒針が進む時計を表示していたし(地上波デジタル放送はディレイが発生するので、このサービスは不可能になった)、街角の銀行に掲げられていた時計は、なにしろお硬い銀行さんが出しているだけに、無条件に信頼していたような気がする。

「正確な時計を持つ」ということ

「電車がしっかりダイヤ通りに運行される」という、世界的に大変特殊な環境の日本なので、狙った電車に乗るためには正確な時刻認識が必要。しかし、それ以外の生活では数分程度の誤差はまったく問題がない。

それでも、秒単位まで正確に調整された時計を持つことはどこか不思議な安心感をおぼえる。几帳面というか、神経質というか。「もっとおおらかにドーンと構えていられるような器の人間でありたかったな」と思う。たかが時計、されど時計である。
(22/1/7)

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