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チンドン屋さんがいた!

 仕事で四谷本塩町というところへ行く用件があった。「ほんしおちょう」と読むらしい。

 ちなみに一部の江戸っ子文化人から評判が悪い「東京の地名統合で古き良き町名が消えた問題」だが、新宿だけはそれを免れた地域残っている。我が家で言えば、父の友人宅が新宿区二十騎町(にじゅっきちょう)にあってよく訪問したもので、子どもの頃は「なんか、カッコいい名前だよなー」と思っていた記憶がある。

 その四谷本塩町。

 ネット記事によると江戸時代から続く町で、19年の住民基本台帳では316世帯490人。四ツ谷駅から徒歩10分程度だが、そうとは思えないほど静かな住宅街の佇まいである。昔からあった雪印(いまは雪印メグミルク)の巨大看板を眺めながら、「そういえば食中毒騒ぎで社長が報道陣に向かって『私だって寝ていないんだ!』とキレたことがあったけど、あれはこのビルで起きたのかなあ」などと思う。

 歩いていたら、なにやら懐かしい太鼓と鉦の音色が聞こえてきた。「気のせいかな、でも、もしや」と思ったが、やはりチンドン屋さんである。歴史テーマパークにいるような“養殖モノ”ではなく、しっかりお店の宣伝をやっている“天然モノ”に遭遇するなんて何年ぶりだろう。

 昭和も真っ盛りだった私の子どもの頃はまだチンドン屋さんを見かけたものだ。哀感を帯びたヒョロヒョロとしたクラリネットの音色と不気味なまでの白塗りの花魁姿。実際に目にしたものとメディアなどで見聞きしたものの記憶が混ざっているのかもしれないが、日常に紛れ込んできた異界の存在はちょっと不気味で、だからこそ目が離せない魅力があった。

 さて、本塩町の3人組。この日はクラリネットではなくサックスで、女性もそこまで不自然な化粧ではないが、それでもしっかり正統派チンドン屋さんの姿は踏襲していた。

 とっさに前に回り込んで「ちょっと写真を撮らせてもらいます!」とお願いしたら快諾してくれた。そこで撮ったのがトップ画像の写真である。

 たまたま私がその日に着用していた横浜ベイスターズのキャップに気づいた写真の女性は「あ、DeNAの帽子!私もファンなんです」「そうですか!バウアーがどうなるか、ドキドキですね」「来年も勝ちましょう」という和やかなやりとりになった。

 「東京 チンドン屋」でネットをググってみると、複数の業者があるようで、決して“絶滅”したわけでもないと知った。マスコミやデジタル広告の時代にこうしたアナログ感はかえって貴重なのだろう。しかし街の小さな商店などが気軽に利用できるような料金設定なのだろうか。

 ところで「チンドン屋」という呼び方にはちょっとした侮蔑のニュアンスが隠れてはいないだろうか?

 私がいたテレビ報道の世界では「〇〇屋」という呼び方は避けるようにしていたと記憶する。八百屋、肉屋、酒屋などだ。呼び捨てがキツいので「八百屋さん」「肉屋さん」にすればニュアンスは和らぐのかもしれないが、放送原稿にはそぐわない。青果店、精肉店、酒店などに言い換えるようにしていた。ただし言い換えが難しいのが「パン屋」で、結局これはそのまま使っていたようだ。

 数が減ったことで原稿に書くことも少ないだろう「チンドン屋」はどうするか。お役所ならば「街頭宣伝業」とでもするのだろうか。

 営業中の業者のHPでは「ちんどん屋なら東京チンドン倶楽部」「ちんどん屋の『チンドン芸能社』」などと書いている。当人たちが誇りをもって「私はチンドン屋さんです」としている姿は、ちょっとカッコいいのである。
(23/12/9)

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