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家族思いで優しくて、ちょっと元気すぎる三重の人々たちについて

「あこわ」

三重の人がよく口にする言葉である。
正確に書けば「あ、怖」となるらしい。
三重の人は驚くとしょっちゅうこの言葉を使うが、「ああ、恐ろしい!」ではなく「あれまぁ」ぐらいの感覚で気軽にこの言葉を使うようだ。
「せやに」「あかんに」「食べりぃ」
三重(私が住んでいる地域に限っての事だがあえてこう言う)の言葉は、どこかふんわりしている。

三重の言葉を初めて聞いた時、私は「柔らかい関西弁みたいだな」と思った。
優しい言葉を使う人達、と言うのが三重県民への第一印象である。

そんな三重県の人たちについて、元大阪府民の私にちょっと綴らせてほしい。

話は八年ほど前に遡る。
葬儀関連の会社に就職した私は、ある日突然「三重に行って」と言われたのだ。
転勤である。
私は怪訝な顔で会社のパンフレットを隅から隅まで眺め、全国展開する会社の支部の名前の中に三重支部が無い事を確認した。
「三重に会社があるんですか?」と聞けば「書いてないけどあるんよ」と言う係長。

「私は近畿地区に配属を希望したはずで……あれ、三重って近畿やったっけ?」

三重に縁もゆかりも無い私は三重県の事を何も知らなかった。
知っていようと知らなくとも、会社の命令である。
強制的に三重に行くことになった私であったが、会社の人は口を揃えて「三重は……大変よ……」と遠い目をした。
「何が大変なんですか?」と言うと「環境悪い、状況悪い、遺族様近い、故人様でかい」と早口にまくし立てる。
何だその標語みたいな言い方は。

「遺族様が近い、ってどういう意味ですか?」
「もうね、故人様から離れないの。家族の距離が近すぎて困る」
「あの、故人様がでかい、ってのは?」
「三重のじいちゃん婆ちゃんはとにかく元気だから身体が筋肉質で重い。死ぬ前日まで農作業やってたような人なんて珍しくないからね」

そんな忠告を受けながらも呑気に構えていた私は、初めて行った現場でその言葉の意味を思い知らされることになるのであった。
大阪の、流れるように進んでいく厳かで儀式的な雰囲気はどこにも無かった。

「じいちゃん、ええとこ行きや!」
「なぁ、どの服入れるー?」

それはまるで「おじいちゃんのとっておきのお出かけを手伝う家族」の姿だった。
衝撃を受けた。
「これは仕事が大変だぞ」と言う思いと共に生まれたのは「いいな」という感情だった。
自分が亡くなった後、こうして家族に見送ってもらえるのなら、きっと未練なくあの世へ行ける。
そんな気がした。

私は三重で何百人もの故人様の支度をし、その何倍もの遺族様と出会った。
仕事は信じられないくらい大変だった。
山の上にある家まで棺を担いで登ったこともあるし、故人様の口紅の色で永遠に揉める遺族様の中で身体を縮こまらせて(故人様より私を先に火葬してくれ……)と天に祈った事もある。

三重の人は家族思いだ。
時間の無い中、一枚一枚のんびり棺に入れる写真を選ぶ遺族様。
「何か違う」といつまでも化粧に納得しない遺族様。
勘弁して!と叫びたくなったことは何度もある。
でも、その度に私はやっぱり「いいな」と思うのだ。

いいなぁ。
良かったですねぇ。
家族さんは、貴方のこと本当に大好きなんですね。
でも「手押し車を棺に入れたい」って遺族様のお願いは断りましたよ。
棺は物置じゃないんですからね。
何でもかんでも入れる訳にはいかないんですよ勘弁してくださいな。

三重の人は優しかった。
私はどれだけ三重の人に助けられたかわからない。
三重の人は自分の家独自の味ご飯(炊き込みご飯のことをこう言うらしい)を作り、振る舞ってくれる。
車のタイヤがパンクしてると教えてくれる。
私が大阪から三重にやって来て、「三重が好きだから居座ってるんです」と言うと、三重の誰もが「え、何で?」と聞いた。
だから私は三重の好きな所をたくさん伝えるのだ。
ご飯が美味しくて、海も山もあって、何より三重の人は優しいから好きなんです、と。
そう言うと三重の人たちは「優しくない人もおるよ!」と言いながら、何故か皆「ありがとう」と言うのだ。
だから私は、やっぱりそういう所が優しいんだよなぁ、と思う。

三重の人はとても元気だ。
八十歳を越えてもせっせと働いている人が居る。
退職をしたおじいさんが「働かなあかんわ……」とため息をついている。
お金に困っているのではないらしい。
する事が無いのに困っているのだと言う。

「家でする事なんにも無いやんか!」

私の知り合いのじいちゃんばあちゃん達は、そう口にしてチャキチャキ働いた。
葬儀の仕事を辞めて、居酒屋で働き出した私は元気すぎる三重の人々にたくさん出会う。
「かいだるい(かったるい)わ〜」と言いながら三十キロの米袋をヒョイと持ち上げる、八十歳越えの居酒屋の大女将さん。
深夜のスナックで演歌を歌って「明日、節分で撒く餅を三千個包まなアカンから」とヘルメットを被り自転車で帰っていくおじちゃん。
「せっかく何万もかけて健康診断したのに腫瘍の一つも見つからんかったわ!」と不機嫌なおじいさんまでいる。
七十代のスナックのママさんは「来年で辞めようかと思ってるけれど、あの大女将さんが働いてるから続けなアカンやろ?と、言うことはあっちの居酒屋のお母ちゃん(六十代)も続けなアカンやろ?」と言う。
そんな一蓮托生システムで回ってるのか、この界隈。
現在最高齢の八十歳越えの大女将さんは、仕事終わりにスナックで芋焼酎をグラスにドボドボ注ぎながら「あたしは死ぬまで働くで!」と宣言している。

この大女将さんは一週間の入院から帰ってきた当日には働いていた。
退院してきた日に大女将さんが油がみっちり詰まった一斗缶を持ち上げながら「ただいま!」と声をかけてきたので私は腰を抜かすかと思った。
「大女将さんって、仕事中はお酒飲んでないやろ?」とこっそり私に聞いた若いお客さんたちに「いや、この前お客さんと一緒に日本酒十合飲んでましたよ」と真実を告げる。
お客さんが一斉に「あーこわ!」と口にしたので(本当にここら辺に住む人って“あこわ”って言うんやな)と興味深く思ったものだ。

三重の人たちはとても元気だ。
些か元気すぎると思わないでもないが。

そんな元気なじいちゃんばあちゃんを見て若い人が皆「あこわ」と口にする。
でもきっと、その若い人たちも八十歳になっても「やる事無いし」と言いながらチャキチャキ働いているような気がするのだ。
私もいつか、そんな三重県民になれたらいいなと思う。

大女将さんからすればまだまだ若者の、ある居酒屋のお母ちゃんに「大女将さんが、退院したその日に働いていてびっくりした」と話すと「あの人は鉄人やから……」と言われた。
「鉄人かぁ」とぼやく私にお母ちゃんは「スナックのママだって、熊野古道の崖から落ちた日にも店やっとったよ」と怖い事を言いだす。

三重の元気なおばあちゃんになる道のりは、どうやらかなり険しそうである。
とりあえず、私は三重県民の真似をして「あこわ!」と言っておくことにしたのだった。

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