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【採択者紹介】GATCH株式会社 『⼤堀相⾺焼 松永窯 震災遺構型プロジェクト』~アートと伝統工芸の邂逅①~

全国・世界・地元から、福島県浜通り12市町村にて芸術家が滞在制作をする「ハマカルアートプロジェクト」(経済産業省令和5年度地域経済政策推進事業(芸術家の中期滞在制作支援事業)。

その採択プロジェクトのひとつ、GATCH(ガッチ)株式会社 による
⼤堀相⾺焼松永窯震災遺構型 アーティスト・イン・レジデンス プロジェクト
につきまして、どういったプロジェクトをであり、招へい芸術家の現地活動、および制作物が出来上がるのかまでをシリーズでご紹介します。

今回は第1回目として、GATCH(ガッチ)株式会社の代表 松永 武士さんについて、ご紹介したいと思います!

ー 松永 武士さん ー

大堀相馬焼 松永窯4代目 松永 武士さん

1988年、福島県浪江町大堀地区の大堀相馬焼窯元「松永窯」の四代目として生まれる。
2011年、実家が東日本大震災、およびそれに付随する原子力災害に被災。
大堀地区も帰還困難区域に指定され、松永窯も福島県県南部の西郷村へ避難移転を余儀なくされる。
現在は東京に拠点を置き、伝統産業を世界に広める専門商社「GATCH株式会社」の代表を務める。
2023年3月末、12年の時を経て大堀地区が帰還困難区域指定を解除され、松永窯旧社屋への立ち入りができるようになる。

地元浜通りで浪江町ご出身の松永さん。そもそも松永窯のあとを継ぐことを強いられなかったこともあり、高校卒業後は東京の大学へ進学されます。
そして在学中に「GATCH株式会社」を起業されます。

「田舎から東京に出て行って、優秀な方が多いなぁと感じました。なので、みんなと同じように就職をして、出世レースで競い合って~といったキャリアのイメージがつかなかったんですよね。あと単純に、"起業"というものへの憧れもありました(笑)」と起業の理由を振り返られる松永さん。起業後当面の間は中国・東南アジアを中心とした、ヘルスケア関連事業を展開されていたそうです。

震災前の松永窯(販売スペース)
同じく震災前の松永窯、現在の面影もある

そして2011年3月11日。この日松永さんは、日系企業向けに病院を作る案件で、数日後に中国へ渡る予定だったそうです。震災の影響等もあり、予定予定とはずれたものの、1年間の休学期間で中国へ渡り、帰国後は大学にも復学された松永さん。しかし、海外事業は軌道に乗せた後に売却。一方で2014年、松永窯が新たに避難先の福島県西郷村へ工房を建てるタイミングで、大堀相馬焼をはじめとした伝統工芸商品の販促PRや、新商品開発支援に携わられるようになります。

「そもそも大堀相馬焼は海外輸出まで行っており、お土産需要が大きかったんですよ。アメリカなどでも結構知られて人気があったのに、原発事故による避難で窯元が廃業したり散り散りになったりして、途絶えそうになってゆく姿を無視できなかった。それは相馬焼のみでなく、他の伝統工芸も同じで、そうした産業・事業を支援したいと思った」と松永さんはおっしゃいます。

震災後13年が経った現在、日本各地の伝統産業が持つ魅力を、国内のみならず世界に広めるため、事業展開や販路開拓の支援を行っておられます。

一旦は相馬焼、そして生まれ育った大堀・浪江町を離れる形になったものの、今回のハマカルアートプロジェクトを通して、再びこの地での活動も開始された松永さん。

『⼤堀相⾺焼 松永窯 震災遺構型プロジェクト』とは、一体どんなプロジェクトなのか、プロジェクトの概要に迫ってみたいと思います!次回もお楽しみに!