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「折り合い」に口を出さない、その2

過去にこんな記事を書いていて。


去年の1月6日は、修士論文の提出直前だったのですが、その時に思わず書いた記事です。


ソーシャルワーカーは、人の折り合いに触れやすい立場だなと思うのです。

自分が生きていくために、「本当はこうしたかった」と「現実」の間でゆっくりと折り合いをつけていく。

それは人間誰しもが行う作業なんだけど、障害があったり、環境的な困難があることによって、「本当はこうしたかった」に対して折り合いをつけることが多いと感じます。そして私たちは、そんな場面に立ち会うことが多いのです。

私の修士論文は、精神科の強制入院を経験した方たちにインタビューをしたものだったのですが、

そこで私は、彼らの経験した折り合いたちが、すごく心に残ったのでした。


今、追いかけている目標がある。
今、大切にしている生活がある。
今、一緒にいてくれる人たちがいる。


それは以前に希望していたものとは形が少し違うけど。入院生活はとても大変だったけど。たくさん傷ついたけど。たくさん嫌なことがあったけど。


でも、今あるものを大事にしながら前へ進んでいる。


そんな彼らの話を聞きながら、私は「やっちまった」と思わずにはいられなかったのです。


誰かが時間をかけてつけた折り合いに対して、私は「良かったですね」とか「諦めないで」とか「あの時大変だったから今があるんですね」なんていうような声をかけたことがあったんじゃないか?すごい失礼なことをしてきたんじゃないか?

ぐるぐるぐるぐる、そんなことを考えていました。


私自身もたくさん折り合いはつけてきたけど、それを誰かに伝えた時に「結果オーライだったね」とか「あの時苦しんだから今があるんだね」なんて声をかけられたら嫌だ。それを決めるのは私の役割なのです。


1年経ったけど、まだ私は、私たちの「折り合い」というものについて考え続けています。折り合いは自分でつけるのか?とか誰かに(社会に?)つけさせられるのか?とか。

そんな心の実況中継でした。

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2024年のテーマは、やめるまで楽しむこと。手放すことを恐れず、その瞬間までを楽しめばいい。そんなハマダのこだわり記事はこちらに収めます。


ソーシャルワークに関するひとりごとはこちら。


ハマダユイ
ソーシャルワーカー12年目。大学教員をやりながら、相談室バオバブで個別相談を受けている。精神疾患にまつわる悩み事、家族のこと、人間関係のこと、仕事のこと…。いろんな人と一緒に作戦会議を開く毎日。

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