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やったことないことをやってみること。勇気を持って変化すると得られるもの。

仙台に行ってきた。牛タンと笹かまはやはり美味かった。ホヤと日本酒もとても良いものに出会えた。

今回はとあるイベントに参加したのだけど、イベント自体にたくさんの気づきがあり、新たな人との素晴らしい出会いがあった。イベントの詳細についてはまた後日。

とにかく最近、動いた結果がことごとくプラスになる。
そもそも、行ったことのないところに行ってみる、というのはやはり発想をクリエイティブにするし、新たな人との出会いはとても好き。

今日は、そんな風に人と出会うことがなぜ好きなのか?自分の行動原理を作ったのはなにか?という自叙伝的なお話。半ば自己満だけど、誰かの参考になるかも知れないと思って書いてみる。

対象者は、
・新たなことに一歩を踏み出すのに躊躇している人。
・失敗経験とか逃げた経験に後ろめたい気持ちを感じている人。
・自分が今やっていることに漠然とした不安を抱えている人。
(・はまーのことをもっと知りたい人)

だいぶ長いのだけど、お暇な方はご一読いただけると嬉しい。

何が後々役に立つかは、その時点ではわからない

ところで、"Connecting the dots" というスティーブ・ジョブズの有名な言葉がある。最近改めてこのプレゼンを見たのだけど、非常に感じるところがあった。人生のいろんなタイミングで折に触れて見ると良い。

全文は以下に。

そして、今回の話に関わる大事なところを抜粋したのが以下。

you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.
(先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。だから将来何らかの形で点がつながると信じることだ。何かを信じ続けることだ。直感、運命、人生、カルマ、その他何でも。
この手法が私を裏切ったことは一度もなく、そして私の人生に大きな違いをもたらした。)

その時々では苦労するけど、結果的に役立つことはたくさんある。
「人間万事塞翁が馬」「災い転じて福となす」という言葉も大事にしたい。

要は、起こったことの捉え方次第で、人生は楽しくなるものなのだ。
30年位生きていると、これに気づく人は結構多いんじゃないだろうか。
くすぶっている人には是非前向きに捉えてもらいたい。動きを辞めなければ、役立つ時が来る。”死ぬこと以外かすり傷”とはよく言ったもので。

後につながるドット(出来事)は、変化の中にある

僕の行動を支える考え方の基本が以下。

「変化は善」で、「飛び込む勇気」がそれを実現するし、結果「たくさんの才能」に出会うことができる。

関連した記事は別で書いているので、興味があったらリンク先で参考していただけると嬉しい。

上記の考えに至ったのはなぜなんだろう、と考えていて自分の性向を分析してみると、

極端に違う分野の、やったことのない新しいことをやってみるのが好き

というのが僕の行動原理の根底にあると気づいた。
結果論かもしれないが、これが楽しい人生につながっている。

特定の分野に軸を持って特化できず、飽き性であるというのは弱点かもしれないけど、自分の性向に従うことはゆくゆくはポジティブな結果を生むのだと思う。

前段が長くなったけど、本稿では改めて総括的に、自分の過去を振り返って原体験のことを書いてみる。僕がなぜ上記の言葉を大切にするのかが、なんとなくわかってもらえると思う。

***

成功体験が自分を形作る

幼少期〜思春期の成功体験が自分を形作る、というのは多分あって、小さなころの体験はどうしても関わってくる。その最初のものが、僕の場合「運動」に関するものだった。

下から数えたほうが早かった運動能力が変化する様を体験する

僕は小学生の時、漫画とゲームとパズルが好きで、暇さえあればこれらをやっていた。つまりまごうことなきインドア派である。体育の授業が憂鬱だったし、友達と遊ぶときにサッカーをするとかも苦痛だった。

それでもやはり、小学校では足の早いやつや、運動のできるやつがモテる。鉄棒と反復横跳びはわりと得意だったが、地味なのでモテないw
そんな状況なので女の子に縁のない小学校時代だったが、それを変えたいとは常々思っていた。

その後、中学に入るのだが、変化したいという思いが募り、仲が良かった友人の誘いがきっかけでバスケ部に体験入部してみることに。
どうやら意外とやれそうだと感じたので、毎日運動をすることになった。当初はパソコン部か卓球部に入ろうと思っていたので、かなりハードルの高い決断ではあったのだが。
(※『ピンポン』に出会う前は、卓球部は運動初心者向けのスポーツだと舐めていた。卓球はハードなスポーツですよねw)

最初の一年間、シュートが入るようになる、体力がついてくるのが楽しくて、その時点でも変化は十分感じていたのだが、中学2年の冬にあったマラソン大会で、5位になったのが結果としてのハイライトだった。
150人位いた同学年で、小学校のときは下から数えたほうが早かったのに、2年で約100人くらいごぼう抜きしたのだ。

僕はいたく感動した。努力が報われた瞬間だったと思う。
(※ただ依然として視野は狭かったので、バスケ部ではあまり活躍できなかったが…。とりあえず体力を活かし、山王の一之倉のようにすっぽんディフェンスを得意としていた。)

割とポジティブに変化を楽しむ高校→大学時代

高校では変化は少なかったように感じる。やることは割とおとなしくて。でもジャズを聞いてみたり、バイトをしてみたりする中で自分の好きなことはいろいろとやれたように思う。

その後、大学に入ったときにやったのは、ヒップホップやB系の嫌いな自分には縁がないと思っていたストリートダンス。(※やはりモテたかったようだw)
カウンターカルチャーを知ることで、多様性と自己表現を学ぶことができたし、生涯の友人が得られた。

極端な変化への選択が辛い結果を産むこともある

新卒で会社に入ってから、研修終了時にエンジニアを選んだ理由も「やったことがなかった」から。

実はこのとき、性格的に営業をやったほうが良いとはなんとなく感じていたし、周りの人からもそう勧められた。
が、ここは天の邪鬼な性格が災いしてあえて困難な方向に進むことにする。

自分では出来ると思っていたし、ある程度はできたけど、やはり今思い出しても向いてなかったように感じる(もしくはハードルを上げすぎていた)。なので苦手を補うために圧倒的に仕事に時間を費やしたが、結果3年弱で半分鬱になって会社を辞め、路頭に迷うことになる。

全く未知の海外へ飛び込むという変化

そんな折、友人に勧められたのは税所篤快さんの動画だった。バングラデシュという遠い国で仕事をしている同世代の人間の存在に衝撃を受けて、関連した話を探っているうちに青年海外協力隊を知った。

思えば昔から、世界の格差はなぜ起こるのか?ということに疑問はあった。大学に経済学部を選んだのもそれが理由だ。
でも結局学生時代は貧困の現場を知らずに卒業してしまったし、このタイミングを逃したら一生行かないだろうなと思ったので、行動することにした。するとトントン拍子に話が進む。

こういうときは人生で数回あるのだが、何をしてもうまくいく、入ってくる情報がすべて役立つもので、ポジティブな結果につながる。バスケ部に入ったときも人に勧められたことに従ったことで結果が得られたのだが、これがその2回目だった気がする。

試験なんかも全く問題なかったし、受かる気しかしない。アフリカを希望した青年海外協力隊にてパプアニューギニアに配属されたことは、自分の人生に非常に大きな影響を与えている。

そして、パプアでは聖人君子になれると思って活動していたけど、結局自分は自分のためにしか生きられないんだなと思い知らされた。自分の行動が何のためになるのか?理想と現実のギャップに無力感が募り、結果パプアニューギニアでの活動は半ばで挫折している。

そもそもの動機が、現地の生活を知ることだったので、そこまで強く自分を保つことは難しかった。一度下がったテンションのままで活動を続けることは誰のためにもならないと判断した。といえば聞こえはいいが、要は飽きと、逃げであったとも思う。

だがこれも、少しずつ自分というものを知ることにつながるわけである。

自分の欲望に従ってミャンマーに飛び込む

このあと、社会的意義をそっちのけで自分の欲望に忠実に生きようと思った。周りを気にせず、好きなことをやる。

そんな折に触れたのがミャンマーで、以前から縁のある今のボスに助けてもらって、駐在員として働くことになった。
ミャンマーに行って、何をするか、正直なところこれも定まっていなかった。でも、経済成長著しいところでビジネスを自由にやってみる、というのは確実に面白そうだと思った。それだけだ。

現地でも、ほぼほぼやりたいと思うところには飛び込んだ。今振り返っても、本当に自由にやらせてもらっていたと思う。

ミャンマーで世界的なコスプレイベントの予選主催なんかも行った。コスプレ自体は見る専門だったが、とりあえずやってみるというのは大きな経験だった。これはあとで非常に辛い状況に陥るのだけど、今となってはやはりやってよかったと思っている。

ミャンマーに滞在する中でたまたま見つけたのがHIUというオンラインサロンであり、そこでもたくさんの出会いがあった。学びもあった。
HIUの中でミャンマーまでわざわざ来てくれた人もたくさんいたし、そこで参加したプロジェクトでも、自分にできること、できないことを改めて感じることができた。

日本というフィールドに戻って、疑問を持ちながら事業をつくる

ミャンマーでの1年半を経て、日本でブロックチェーンを標榜して起業するわけだが、まあビジネスを作ることなんてやったことがないので全く作法もわからないし、結局なかなか自分ごととして捉えられずに時間が過ぎた。

でもまず、自分の好きなところと興味にフォーカスして活動を続けることができた。少しずつでしかない前進をボスは見守ってくれたし、その結果今、やりたいことが見つかった。

昔からボスが勧めてくれたことは、あらゆるものがポジティブな結果につながっている。今、改めて人からの評価と期待、というものを見つめ直している。

***

まとめ:どんな変化を経験して、何に活かせているか。

一番の原体験は

・運動嫌い
→長距離好きで身体に気を使う

という変化の成功体験。非常に強力に自分の行動に影響を与えているように思う。

その後の変化を羅列すると

・ダンサー
→SE
→ネットのほぼ通じない島でボランティア
→新興国でコスプレイベント主催
→日本で会社の代表になってスタートアップ

そして直近での変化だと、

・結婚とかどうでもいいと思っていた
→子供に貢献する仕事がしたいと思っている。自分の子供も欲しい。

こんな風に、いろんな変化があった。そして、それぞれの瞬間ではかなり極端に変化している。

ただ、どのタイミングでも、意外と過去の経験が生きることはたくさんあった。

ダンスは言葉の通じない国でたくさんコミュニケーションに役立ったし、ボランティア活動はいろんな活動に入り込むときの基礎を作ってくれたように思うし、ネットのない世界での生活は今やろうとしている事業にも大きなヒントとしてつながっている。

一見、すごく分散しているような生き方だけど、最近だんだんと収斂してきている。

今やっていることは、なにかに繋がっている。人との出会いを大切にしたい。

結局、考えてみるといつもきっかけは人。周りの人の勧めに従うと、だいたい良い方向に向かっている。例えば中学の時、卒業式で恩師に贈られた言葉もまた、自分の人生に影響を与えている。

「人は変われる生き物です」

僕は今までもこれを信じてきたし、これからも信じて生きていくだろう。
いろんな場所でいろんな側面を見てきたからこそ、提供できる視点があって、人に、社会に価値還元できると思っている。

最近は、キャリアモデル開発に関わっているが、人のいいところを探すことができるのは、自分がそうやってたくさんの変化をポジティブに捉えながら生きてきたから。

そして僕だからこそ、「ライフセンターワーク」というものを提唱できる。最近改めて定めた僕のミッションには、今、確信めいたものがある。

個人の価値を最大限に発揮できる世の中を実現したい。

***

長くなったが、ここまで読んでくれた方は何かしら気づきがあっただろうか。

もし、誰かの変化のきっかけになってくれれば本当に嬉しい。

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