スイスの国民投票:否決

全国民への無条件基礎収入保障。6月5日に国民投票が実施された結果、賛成23.1%、反対76.9%で否決されました。(投票率46%)

現実的といえば現実的。

私も現時点でベーシックインカムは議論の活性化(社会福祉に関する)に役立てられればいいのだろうと思っている。

特に平等であるとか尊厳のある生活とかを金額で様々シミュレーションしてみるというのが割と議論の深化によいのではないか?と考えている。

今は主に「どうやって財源を確保するのか?」そして税制の話に注意が向きがちだけれど、そこからスタートして、「ではそもそも一人一人の経済というのはどういうもので、どうやって日々運営されているのか?」をより一人一人の実生活に根差した感じで突き詰めていくことが大切なのだと思っている。

引用のブログポストにも、社会福祉行政のシステム管理・運営上の経済性、シンプル化が利点として挙げられているけれど、これは国家による一括管理が前提とされている。

でも、経済性や単純化だけでベーシックインカムの制度が実現可能か?というと必ずしもそうとはいえない。

国家権力のみを権威ある権力と認め続けられるのか?

信頼性の問題。

だから分権化とか、人々の性質としてどの程度の規模だと親近感とかが関わる、一部の者への事務管理の信託の仕組みが築かれやすいのか?とかいう研究も参考にしてみる必要があると思う。

基本的に大多数のいわゆる「下々の者」は、様々生きていくために活動した結果が、為政者や企業に利用される側にいる。

勿論下々の者だって法律や制度に従ってできることできないことを見極めつつ生活するので、全く勉強もせず、ただなんとなく生きてばかりいるわけではないのだけれど、考えたところで全員が「利用する側」にはいけないし、各々できる範囲で主に危機に陥らないような方向で行動する。

大事なのは、そういった大多数の人々の安全確保志向というか生きれるように生きる傾向と、ベーシックインカムの制度といったような上からの管理制度とがうまくリンクされること。

「うまくリンク」とは、ベーシックインカムなら、より安全な人がより財源を負担したくなるような感じ。

ある人は5人ぐらいなら面倒見れる、と感じるかもしれないし、ある人々は、何万人でもいいからそれに必要なだけ稼ぐし、稼ぐだけじゃなくてついでに必要なモノ・サービスがいきわたるようなシステム開発などに従事したい、と思うかもしれない。

そのへんの見極め。

合わせて検討を始めたいこと

自給自足の再定義と実現可能規模の検討

食糧ぐらいは自給自足したいところ。現時点の食糧生産に投入されている化石燃料の量は半端なく多くて、永遠に継続していこうとするとエネルギーをどうするか?が問題になる。では、機械や化学肥料・農薬などに頼らない農業、長距離輸送を要しない生産・流通の仕組み、、、と考えると自分の食うものは自分で、、、が究極型なんだけれども、まさか全員が箱庭程度ではあっても土地使わせてもらって食べ物作る、ってわけにもいかない。(肉とかは箱庭じゃ無理だし。。。)ある程度の規模の共同体であるとか、複数世帯が参加しての役割分担が必要。現在は一国の食糧輸入というのが指標になっているけれど、もっと細かく、例えばとある村が食糧を自給するとはどういう状態か?とかまで考えてみる価値があると思われる。

お金の役割

ベーシックインカムが確保された世界では、ビジネスであるとか、利潤追求とかいう概念も再考が必要。自給自足とも関わるけれど、ある程度の規模をカバーする生産・流通ネットワークを形成して、維持管理していくには、お金にあたるメディア(媒体)は不可欠。でも生きていく分は放っておいてももらえるものなので、稼ぐにしても「何のために稼ぐのか?」が、生活に不可欠なモノ・サービスの生産・流通体制の運営維持管理に絞られるはず。このように密接に生活に不可欠なモノ・サービスに関連付けられた場合、お金というのは無理やり借金を作ってでも増やさなければならないものではないはず。今は、生活に絶対必要なモノやサービスだけに必要なお金を増やすのではなく、よくわからないからとりあえず沢山ないとアブナイでしょ?という感じで本来そこまで必要のない分までお金を増やそう増やそうとしている。一案としては、エネルギー制約(一般にEROIとよばれる指標で測る)を基準として、まずどれだけのお金があるか?ではなく、どれぐらいエネルギー(石油を掘るためのエネルギーなども含む)を使うのが持続的か?という観点から経済とそれに必要なお金の規模を計算する、という方法が考えられる。

心理面の研究

私が主に興味を持っているのが「勤勉さ」。わりと強い方の人々ほど働かなくてもお金がもらえる、ということに否定的な傾向がある。お金の役割の見直しとも関連するけど、そもそもみんなが勤勉に働く、ってどういう状態なのか?なんでもいいから定職見つけてさほど全体に貢献していなくとも毎日職場に顔出したり、みんなと同じだけそこに居続ければいいのか?ベーシックインカムの制度維持に貢献することが大事として、貢献度は全員一定以上でないとだめなのか?「勤勉を尊ぶ」というのはそもそも善を求めたい心から発しているはずなので、それが「勤勉の押し付け」であるとか、「ここまでは生きる価値あり」みたいな排他的な勤勉信仰にならない工夫が必要。

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