エッセンス

「自己実現教」は「自己振り返り」の対極

未来を予測するということは、功利的な理由よりも、避けがたい不安への対処法の一つ、という意味合いが強い。

私たちは時間の中で生きている。

時間というものに”実体”がない以上、これは私たち一人一人の想像(創造)。

より具体的な想像(創造)の仕組みとは、「未来があるということが分かってしまう」ということ。

解けるであろうと十分予測できる問題を設定し、それを解くという営みも、「正確な理解でもって社会に貢献する」というよりも、「見えてしまうけどどうなるかはよく分からない未来を手探りで進んでいく」というストーリーの方がより日常の営みに則している。

自分自身の立ち位置を確認できないことには、人は先には進めない。

これは、哲学的な意味ではなくて、もっと原始的な必要性。

目の前に何かがあります。

これを「認識できる」ということは、「そいつから発せられている信号を受け取るべきもの=自分のボデーがある」ということ。ボデーのイメージがないと何も”認識”なんてできない。ボデーのイメージは様々な信号を受け取りながら形作られていく。必要に応じ修正もされながら。。。そんな感じ。


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