SFを読んでいます
H. G. WellsさんのThe Shape of Things to Comeと、R. A. HeinleinさんのFor Us, The Living。
ベーシックインカム・ユートピアの世界を描いてみたいと思っていて、その参考のために。と思っていたのですが、私たち現代人に染み付いてしまっているある種の傲慢さを何とかしなければ、と強く思うようになっています。
ベーシックインカムも、お金の心配をしなくてよくなる、というより、人間同士、お互いの懐具合をそれほど探り合わなくても済むようになることの方が利益が大きいんじゃないか?と考えるようになってきています。
お金の心配がなくなったとしたって、永遠に生きれるわけでもないし、やりたいことが何でもできるようになるわけでもない。
(道徳的に)よきことが幸せ。幸せとはよきこと。
友達は必要。
アリストテレスさんは多分正しい。
問題は。
道徳的によく生きるとはどういうことか?
私は #葛藤 と思うのだけれど、どっぷり現世利益至上主義に浸っている人々にはきっと何のことなのか全く理解されないだろう。
例えば、ウマが合わないな、、、と結構悩まされた人との方が、うまくいくようになったら嬉しくないですか???
そんな感じ。
自分もあれこれ工夫はしてみるんだけれども、相手もあれこれ工夫して(ないかもしれないけど)、さらにそれだけじゃなくて、自分とその相手だからこそ降り注いできたに違いないラッキーを感じる。巡り合わせの妙。 #恩寵 ( #グレース )。
ちょっと工夫して何か目に見える結果が出るぐらいなら。。。
飽きちゃうでしょ?もしくは。。。
次次、、、って延々乗り換え続けるとか。
そんなこともない???
まあないならないでいいんですが。。。(例が悪かったかな。。。)
#梵我一如 ?
ちとちがうな。
永遠がありとあらゆるもののお陰で苦にならなくなるとか。。
分かりにくいよね~。。。
何の疑問もなく受け入れられるのとは違って、めっちゃめちゃ疑問に思わされて思わされてその連続なんだけども、その疑問と解答っぽいものとの出会いの繰り返しに幸せを見出す感じなんよね。。。葛藤。意味ちがう???
永遠とは言わずとも、延々続くように思える難題があって、そうした一見しんどそうなものがそうでもないと感じられるなら、結構無敵と思いません?
このラインだとなんかえらいストイックというかマゾヒスティックな気もする。
いえいえ。楽しいんです。マゾではなくて極々ストレートな楽しみ。
人間を知る。
知りたいと思いません?
人間じゃなくて、いろんな知識を得るとかだと、首尾よく得られれば楽しそう♪とは思えませんか?
対象が人間であっても理屈は同じではないか?と。
常に新しい発見がある!
ちょっとウソくさいか。。。
まあでも。
それぐらい色々と考えさせられることは尽きないわけなので、お互いの懐具合について探り合わなくて済むようになるのってものすごい負担軽減と思うんですよね。
#ベーシックインカム 。必ずしもなくてもいいんだけどね。
重点は、デフォルトが何も特に考えない、で、まれに考えるからこそとち狂っちゃわないようにする、という感じで置いておくのがよさそう。
普段大して考えもしてないのに(から?)、たまに考えるとクソ真面目になり過ぎるんよね。往々にして。
半歩(ぐらい)遅れる哀愁。。。かなぁ。
あのタイミングで気付けてたらもうちょいなんとかなったのに。。。
あそこまで先読みして心配せずともよかったんだよ。。。
ってことはまずなくならないわけで。。。
「なくならない」ってのも含めて理解するのがロジカル。
既に起きてしまったことのロジック(因果関係)をまだ起きていない未来にまで適用しようとするのはエモーショナル。
ってことまで含めての人間っぽさを理解しようとするのはロジカル。
こんな感じ。
葛藤っぽくないですか???
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