資本主義的な価値観はある種の事柄についてクソでありそうと思われる

資本主義的価値観が全て正解ではないという認識は常に意識しなければ、いつのまにか、唯一の正解と思って行動しがちだなと思います。実際にはそうではないケースもあるので、価値観の切り替えを行なってみたり、多様な方向から状況を眺めるような視点が必要です。これは自分には難しいことだと思います。しかも、価値観の切り替え多様な視点を持つことの必要性は認識しづらいと思います。

私のここでいう資本主義的価値観とは、全ての物事の価値をお金で評価可能である。とか。競争によって世界はより良い方向に進む。とかそのようなことをイメージしています。

具体的に自分が悩んでいたケースを紹介します。全ての物事をお金に換算して、評価することができると考えるのが資本主義の基本的なスタンスだと思います。
私は自分の収入が低いと感じた時、自分の価値は低いのだと考えてしまいました。まわりから聞こえてくる金額と比較して、自分はダメなのかなと考えてしまいました。そして評価を疑い始めてしまいました。疑っても仕方がないので、ただ不満を持ちながら仕事をすることになってしまいました。
実際には、収入の数字が示しているのは、その人の能力ではありません。その数字は様々な条件で決定されています。個人の能力が関係するのはその一部であると考えた方が良いと思います。

人を評価する時に数値化して評価することはある側面では可能だけど、それが全てではありません。当然な話ではあるのですが、資本主義的な価値観を強く持ちすぎると、そこまで考えが至らないことがありました。

資本主義的な価値観の、競争によってより良い方向へ進むという考え方も個人に当てはめようとすると難しくなってしまいます。
自分は仕事を始めた当時、わからないことだらけで、勉強する必要がありました。同期の仲間と一緒に色々と教え合いながら勉強していましたが、だんだんと辛くなってしまいました。それは、仲間として考えるのではなく、同じ会社のライバルとして競争意識を強く持っていたためだと思います。「あの人はあんなことをできるようになったのに、自分はまだできない」と比較していました。
今の勤務年数なら、自分の能力はこうあるべきと考えるようになりました。それは、自分のやりたいこととは別で、こうでなければいけないと自分で自分を苦しめる枷のようでした。

競争意識が強すぎて何のために勉強しているのか、よくわからなくなってしまいました。実際には、競争によって成長が促されるケースはあると思います。しかし、それだけでは健全な成長はできません。肝心なのは自分がやりたいと思っていることに集中することです。望まないのにこうあるべきということに囚われてストレスを抱えて競争するのでは気持ちが辛くなる一方です。

資本主義的な価値観はとても強力です。実際、いろいろな場面で利用されて、この世界をより良くしてきたと思います。
しかし、全ての場合に使えるものではないのだと思います。それは常に頭の片隅に置いておきたいと思います。

厄介なのは、資本主義的な価値観は教育の過程で多用されていることです。生徒の評価をテストの点数や、内申点で決めること、同じ学年の中で比較をして、競争を促すことが該当すると思います。部活動は大会で成果を残すことを目標にすることが一般的だと思います。
このような経験から資本主義的な価値観は、基本的な価値観として自分に入り込んでいるのだと思います。意識していないと、この価値観でしか物を考えず苦しくなるということがあると思います。何かがおかしいと感じた時、価値観を見直すということができるとよさそうです。

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