小娘とYAMAHA DD100 〜小娘編5〜

前話はこちら

(鶏ごぼうおこわ…)

抱えたリュックの中から、おにぎりにして持ってきたおこわのいい香りがします。

平日の午後の電車はさながら天上の楽園、これこそがユートピア、なんの不安も悪意もない優しい世界といった風で、このままずっと鶏ごぼうとウトウトしていたい…と願いつつ、口の中に広がる苦味で小娘は胃が弱っていることを感じていました。気がついてしまうと途端になんとなくモヤモヤと吐き気が襲ってきます。

メンバーとの初対面を経て、無事念願のバンドマンになった小娘は、さっそくその虚弱な胃を傷めていました。

時間がない…

耳に意識を集中し、抜けられる気のしない曇り空へと自分を連れて行きます。

コードをなぞるギター、ボーカルの唄、ベース、ドラムで構成された、ここ1週間バイトの時間以外ずっと聴き続けている曲。普段きかない、ポップで晴れの似合いそうなバンド曲です。

ここで私は何をすればいいんだ…

小娘は暖かい車内で吐き気と焦りに眉間をしかめます。

池袋駅で降り、たった一駅分の電車賃を浮かすためにギターと機材をのせた重たいカートを引きずりながら、なるべくゆっくりと時間を稼ぐようにスタジオへと歩きます。

晴れてバンド名も決まり、全員の間をとって大塚のスタジオを拠点とし、初ライブへ向け曲を揃えようとバンドの既存曲を渡された小娘。

その曲は、なんというジャンルなのかもよくわからない、ビョークとシタールとマシューハーバートに溺れた小娘が聴いてこなかった感じの曲でした。

そして、ファンキーの元でひたすら手を叩きスーパーボールと化していた小娘は、何をどうやって曲にギターをつければいいのかわかりません。

先週のスタジオ練習では、結局ほとんど何も出来ませんでした。絶対に次のスタジオでは挽回しなきゃと意気込んだものの、全く何も浮かばず…。そのまま今週のスタジオ練習の日になってしまったのです。

ロビーに降りると、すでにベースのゴスとドラムのギャルがいました。

「おは!!」

めちゃくちゃ元気にギャルがこちらに手を振っています。
向かいの席で今日も黒づくめのゴスが、甘い香りのするタバコを吸っています。

吐き気と絶望と焦りで瀕死の小娘は、二人のいるテーブルにつきます

「きてるね〜。大丈夫?」
ゴスが少し微笑みながら声をかけてくれます。
なんと答えてよいのやら…う〜ん、とモゴモゴしつつ雑談しているとボーカルが到着。

「すまん!遅れた!!」

時計を見るとたしかに予定時刻を2.3分過ぎたところです。

(もっと遅れてくれてもよかったのに…)

小娘はゾンビのような顔で重たい体とカートを引きスタジオへ入室します。

「なんか良い感じの浮かんだ?」

セッティングしながらボーカルが小娘に軽く尋ねます。「いや…ごめん、まだ…。ほんと申し訳ないです…」
ノロノロと手を動かしながらそう答えると、ボーカルから思わぬ答えが返ってきました

「お!まじか!それならよかった!実は新曲持ってきたから今日それやろう!」

その瞬間、ぷわぁああああああああああ〜!!!!とラッパが鳴り響き、天使が小娘の両隣に現れます

(っしゃああああああ!!!助かったぁあああああ!!!)

一瞬で視界が明るくなり、吐き気も消えた小娘。
「その曲CDに焼いてて遅れたー」
とボーカルが続けて話していますが、小娘は天上の楽園で天使たちと小躍りしています。
絶対一発で決める!!次こそ頑張るよ私!!と天使とハイタッチをしていると、

「顔ちがうやん」
アンプをいじりながら鏡越しに小娘をみてゴスが笑います。

各々セッティングも済み、早速ボーカルが新曲を弾き語りはじめます。

最初に渡されたものとは打って変わって、ミドルテンポのバラードです。

早朝の霧がかった空、ビルの屋上、雑然とした建物たち、一人きり

聴きながら面白い本を読んでいる時のように次々と風景やキーワード、におい、温度が頭や体に渦巻きます。


小娘は目を閉じてさらに奥に進もうとします
あと少しで掴めそうな、ドアが開きそうな、そんな感覚が自分の中にあります。

まだ朝になりきっていない薄暗さの中に、さらに没頭しようと懸命に集中します。

必死に手をのばしたのに、間に合わないまま曲が終わってしまいました。

「もう一回ききたい」

感覚が途切れないように小娘は言います。
ボーカルが今度は焼いてきたCDを流します。

さっきと同じ風景を小娘はみています。
さして高くないビルの屋上で、フェンスを前に誰かが立っています。
曇っているわけではないけれど、まだ明けきってない空は曇天に似ていて、
でもその誰かの気持ちは清々しくて、期待と希望に満ち溢れていることが小娘にも自然とわかります。
フェンスを超えた場所で、その子が膝を抱えて座っている場面に変わっていきます。そのまま曇天に似た朝の空をみています。


必死に意識を集中させていると、CDではないフレーズがかすかに聴こえます。

遠くで鳴るその繰り返すフレーズを必死に追います。
3音を繰り返し、2回目で3音目があがり、また最初の3音に戻って…

メンバーたちは、いったん休憩と部屋を出て行きましたが、小娘は必死にその3音を手繰り寄せます。

てぃろりてぃろりてぃろりてぃろりてぃろりー…

はたから見ればアホらしい光景でしょうが、小娘は必死にそのフレーズをうたいます。

「歌えれば弾ける、歌えないうちは絶対に弾けない」

というファンキーの教えは、しっかり小娘の血に染み込んでいたようです。

興奮を押し殺しながら、そのフレーズの1音目をギター上で探します。

(ここだ…)

最初の1音が、実際の音になって自分の耳に聴こえました。
そのまま残りの音を探って、頭に流れるフレーズを音にします。

ガチャっと大きな音がして、メンバーが戻ってきます。

小娘は急に恥ずかしくなって手を止めました。

「なんかできそう?」

ボーカルが声をかけてきます。

「サビのとこ、ちょっと思ったのあって…」

恥ずかしい、めちゃくちゃ恥ずかしいと思いながら、たった今できたばかりのフレーズを忘れないように指板から指を離さず答えます。

「それじゃサビのとこやってみよう」

そう言うなり、3人は楽器を手にします。

ギャルがスティックでカウントをとり、演奏が始まりました。

小娘は死ぬほど恥ずかしくてなかなか入ることができません。

頭では、バンドマンになりたくて泣きながら一人で白いマーシャルの部屋にいた瞬間を思い出していました。
思い出しながらも、さっきのフレーズが鳴り続けています。

ギャルもゴスも、黙々とそれぞれの演奏を続けています。
ボーカルもサビだけを続けて歌ってくれています。

何もできなかった先週の自分に、呆れることなく大丈夫と言ってくれたメンバーたち。小娘が初めて手に入れたメンバーです。

(ダメならダメでいいや!!初めてだしどうでもいい!)

小娘はまた頭に戻ったサビに合わせて、フレーズを弾き始めます。

メンバーたちがこっちを向いた気配を感じます。
でも恥ずかしくてとても顔をあげられません。
ひたすら集中して、フレーズを弾き続けます。

ボーカルの歌に力が入り、ドラムのボリュームがあがりました。
動きのあるメロディーらしきものを弾いていたゴスが、シンプルなパターンに変わり、小娘のギターが表にポンと出ました。

そのままサビからAメロへ…止まらず曲が進行していきます。
小娘もそのまま指板を見つめながら、時々音を踏み外しながら思うまま弾き続けます。

曲が終わり、音が止みました。

小娘は今まで感じたことのないほどの高揚感の中にいました。でも同時に一気に怖くなって、顔があげられなくなります。
メンバーたちがどんな顔をしているのか、だっさ…と唖然としていたらどうしようと、頭がパンクしそうになります。

「めちゃくちゃいいじゃん、なにそれ」

ボーカルが興奮したように言います。

「めっちゃいいね!なんていうか朝って感じ!」

ドラムが言います。

ゴスを見ると、笑顔でこちらをみています。

生まれて初めて、自分のギターを作って人に聞かせて、それを受け入れてもらえて…小娘はまた泣きそうでした。
でもそれよりも、まだ頭に流れる音にはなにかが足りなくて、何が違うんだろうと気になって早くそれを再現したくてウズウズします。

翌日、小娘はかけもちのバイトの隙間時間にハードオフにいました。

昨日のスタジオで録音してきた新曲につけた自分のギター。たしかに音階はそれなのですが、響き方や音色が違うことに気がついて、夜通しエフェクターのサンプル音源をネットで聞きまくりました。
そして、どうやら足りないのはフランジャーやディレイといった、空間系と呼ばれるエフェクターで作れそうだというところに行き着きました。
小娘の手持ちのエフェクターはオーバードライブが2種類にほとんど使わない貰い物のディストーション、それにチューナー程度です。

バイトの隙間時間に楽器屋へ行く時間はなく、いても立ってもいられなかった小娘はとりあえずハードオフへと来たわけです。

見慣れた王道BOSSのエフェクターがズラッと並んだ下段に、一桁安いエフェクターがぽつんとありました。

YAMAHA デジタルディレイと本体に書いてあります。
1500円という破格ですが、ジャンクではないようです。

なんとなく古くさくて、隅に追いやられているそれが小娘は気になりました。
しかし、1500円といえど極貧バンドマンの小娘にとっては安い買い物ではありません。
もう少し足して確実な王道で攻めるべきでは?と自問自答するも、もう視線はYAMAHAから離せません。
バイトの時間も差し迫り、悩んでいる暇はありません。
小娘は結局、YAMAHAのデジタルディレイ、DD100を買いました。

この1500円のディレイとの出会いが、今後の小娘のギターを彩ってくれる2度目の運命の出会いとなるのです。

続く


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