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PerfectDays(後) 仮想ドキュメンタリー

さて今さらの感想文第二弾(`・ω・´)

時間が過ぎすぎて、書きたいことが変わってきたかもしれない。
鉄と感想は熱いうちに打たなくちゃのやつ。しかも長い。

そうそう。
こんなふうに生きていけたら
こんな風にってどんな風に?どの部分のこと?なんでどうしてっ子みたいにいろんな人に聞いてみたいと思った。

■ 絶妙なドキュメンタリー性

Perfect Daysはドキュメンタリーみたいだなと思った

多くの人が、自分や近しい誰かに、平山の性質や暮しの一部を重ねられるのではないか。例えば、バイト先で、いつも同じ時間にくるお客さんとか祖父さんの整頓力とか、自分の寝覚めかたとか音楽とか。


そんなリアリティーが欠片やコーキング剤となり、フィクションとタイルのモザイクみたいになっていて、
そこに私はドキュメンタリー性を感じたような気がする。


この映画を、知人は「後から考えるとおとぎ話」と表現し、友人は「実はイベントだらけの非日常」と言った。
気づくまでひと呼吸おかせる。
そうか。超一流の作り手による最高のフィクションかも知れない。


■ 独立した生身っぽさ

私が、ドキュメンタリー性を感じた理由は、もう一つある。
キャラクターの独立性だ。


「金がないと恋もできない」という、
他責で軽薄だけど憎めない同僚タカシには、生育の格差や社会の無意識の閉そく感を想像させる。


平山の仕事を一瞬軽蔑しかけながら、平山そのものを見つめて、掃除を手伝おうとしたニコ。社会一般と個の眼。その場面を「スマホを通した光景」で表現したように想像して、感嘆した。


シートベルトに埋もれて、置きどころのない自分に揺らぐ、あや。
ほかにも、この映画の登場人物はみんな派手ではないのに、印象深い。


監督や脚本家の「書き分け」を超えた、各々『人格』を私は感じて、そんな人々が交差することに、ドキュメンタリー性を覚えたのだと思う。

■ちゃんとエゴくてそこがいい

ところで、小料理屋で、傍らに置いた幸田文の随筆本『木』を見た女将に、「知ってる?」と尋ねる平山。


ちょっと得意気な、なんとも言えぬ、ちょっぴり厭らしささえ感じそうな口調。あのセリフと雰囲気は秀逸だと膝を打った。
本当のことは知らないが、役所広司が作ったのではないか、と思っている。


自分の読書や趣味に対する、純粋な「好き」だけではない、インテリジェンスの自覚と優越性をひけらかしたくなる感じ。
あるよなぁ。この映画のそこここにチラリと。で、私にもあるわぁーと苦笑いしてしまった。

あるいは、出自と現実の暮らしの差異に、「自分で選んだ」「知性の水準はずっと一定だ」と自分自身に言いたい、人間臭い感触も集約されてる気がしたのは、感じすぎかな。


いずれにせよ、リアリティーは細部に宿るとはよく言ったもんで、あのシーン大好き。


■私の、こんなふうに生きていけたら

さて、私が「こんなふうに 生きていけたら」と思ったのは、カセットテープと音楽を巡る人物たちの世界観。

誰も平山の車のカセットテープをバカにしない。音楽に興味があれば、好きだと伝える。そんな世界観。

どの登場人物も、もがきながら揺らぎながらも、細いとしても否めない「軸」があるのではないか。自分軸というものかな。
だから、他人は他人として、他人の世界をただそのまま見る。

なんたら構文とか「。ハラ」とか時代を比較してばかりの、自分の軸が水中で漂ったまま根を張れないで、張れていないことにさえ顕在意識では気づいていないような・・・世界とは、一線を画している。つながっていない。


平山のいうところの、つながっているように見えても、つながっていない世界がある。


私はこの映画の登場人物の繋がりを、そこに感じて、こんな風に生きていけたら(っていうか、こんな風にしか生きていけない)と思った。

* 

名もなき素人の長い感想文を、もし最後まで読んでくださった方がいらしたら、心からありがとうございます!

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