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あなたがみえない。(後)

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自分のはなし、できなくなったなぁなんて考えていたら…数年前のことを思い出した。

父が亡くなったばかりのころ。
長いつきあいの友人に、身内の愚痴をイラ立ちながら話したときのこと

「そうなのかぁ。わたし、くりちゃんの昔のプライベートとか、感情みたいなのをあんまり知らないから、なんだか嬉しい」

愕然とした。
結婚前のこと家庭のこと、もっと究極のプライベートまでお互い話していたつもりなのに。まさか、そんな風に感じていたとは…。

**

前はわりと隠さず経験を話してきた。
そんな風に考えていたけれど、こうしてつながると、そもそもすこし違うのかも知れない。

「あなたが少しみえたかな」って感じるのは、事実を知るだけではない。事実と共にある、わたしの真実が伝わったとき、少しみえた、ってなるのだろう。

言動のニュアンスに感じ、事実を知り、そして心や感情をやりとりする。
少しみえたかな、を重ねて、「あなた」への解像度は上がっていくのだと思う。


ムカつくわー!とかではなく、自分の根につながる心と感情の両方を話すことが、私はあまりなかったのかも知れない。


友だちは、私の心の言葉を求めていた。
先輩は、ここに私の正体のなさを感じていたのかなと振り返る。

ーー

仕方ないとも思う。
8歳くらいまで、学校も通算数ヶ月通った保育園もつまらなかったし、充実したカギっ子ライフだったんだもの。

うーむ。自己完結のクセが、人に理解されたい欲や理解される勇気を、強引に渋らせてきたような気がしてくる。

幼少期を否定する気はない。
確実に、過去に叶えた夢や職業、成長、カフェ開業の動機と最強太いケーブルでつながっている。わたしだから見える世界がある。


だが獲得してきた、それはそれ。
わたしは新たなステップに入っていて、先輩のおかげで思い込みを自覚した。


そんなことに今さら気づいて嬉しい。
気づいた時がウマいとき

尊敬する先輩や仲間、友だちがいる環境にありがとうをして、自己完結と解放会議をしながら少しの一歩を繰り返す。軽やかになる感覚を重ねていく。より自由になるチャンスを獲た。

良い一日が増えていく予感がする。

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