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テーマを絞れないけど今はヨシ☞

note氏から記事を『作品』って呼ばれることに、いつまでも慣れません。

ともあれ、
『作品』として捉える。悪くない。
自分の残す事柄に幾分の責任や
充実感を得られるかもしれない。

わたしは本来、noteを広報と紐づけて使いたい。
開店後のカフェの周知とか、
相談やイベントの集客とか。
自分の発信が誰かの心に届いて興味をもってもらえたなら、少しでもマッチングした人に私のサービスを選んでいただくことができる。

それはお客様にとってより良いことだと思う。
そのためには、ある程度テーマを括って、考えて投稿する。
その発信が『作品』と言えるのか分からないけど。
いや待て、『そ』ばっかり続いてるな、そそそ族か。

***
ぐずぐず書いているけれど、
いまのところ、テーマを絞らず思いつくままに書くしかないな、というおはなし。言い訳です。自分への言いわけ。

いま文章を書くことは、わたしには『作品』ではなく、リハビリとかチャレンジかな。いや、延長線上にも『作品』なんてイメージ湧かないなぁ。まあいいか。

13年前、私は文書も文章も読むことも書くこともできなくなった。
子どものややこしい問題を乗り越えたら、何かが切れてしまった。最初は一行読むのも苦痛で、簡単な書類を書くことさえ膨大な時間を費やした。少しづつ回復して、前後左右メチャクチャでもツイッターくらいは楽しめるくらいには戻ってきた。長きに渡りそんな状態。

だけど最近は読める量も増えたし、兄のことを書いてみたら、割とすんなりと書き重ねていることに自分でも驚いている。書ける気がする。

もともとは広報的にするつもりで開設したけれど、いまは今のように形を変えてしまおうと思う。自分のために書きたいこと、伝えたいことを綴ってしまおう。なぜこんなに書きたいのか、まだよく分からないけれど、書きたいんだもの。整理したいのかな。

表題とか変えたほうがいいのかな。
いいや、重く考えない。
お店の話しがもう少し本格的になったらその時、どうするか考える。
いまはもうすこし、作品ではなく、日記にように。徒然なるままにっていうやつだ。

(ひとり言)

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