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大雪の朝



「今年一番の大雪だって」

朝、スマートフォンで天気予報を見ながら夫が言った。
寝坊してリビングにやってきた私は、マーマレードジャムが塗られた食パンをカフェオレで流し込みながら「へえ」と相槌を打った。
夫はちょうど食卓のダイニングチェアを猫に奪われているところだった。夫がおしりでちょいと猫を押しやると、猫はぷるる、と迷惑そうに鳴いてそこを退いた。
夫の進言を素直に守る私は、厚手の丸首のセーターを頭から被る。そして太ももの隠れる長めのダウンジャケットをもこもこと羽織り、ノースフェイスのダウン素材のスノーブーツをもこもこと履いて仕事に出かけた。

アパートのロビーから外へ出ると、ふわふわとした雪が膝下の高さまで積もっていた。
スノーブーツに雪が入らないように、足を高く上げながら歩を進める。
駐車場に停まった車は、どれも雪見だいふくのように真っ白まんまるになっていて、住人が一人、埋もれた車を一生懸命掘り出していた。
ダウンジャケットのフードを被ると、降る雪がフードに擦れてさら、さら、と音がする。
地下鉄駅に向かう道はやけに静かで、雪の降るさらさらという音と、スノーブーツが雪を踏み締めるきゅむきゅむという音以外はなにも聞こえない。

地下鉄、バスを経て職場に着く。
バスは雪のせいで勝手に2本減便されていて、それゆえにバスは3台分の乗客をぎゅうぎゅうに詰め込んで走った。
みんなダウンジャケットやボアフリースの外套で着膨れをしていて、バスが揺れるたび空気の層がぶつかり合うみたいに人々はぽわんぽわんと揺れた。

バスはゆっくりゆっくり走り、15分遅れて職場の最寄りのバス停に着いた。
職場に着くと事務所はがらんとしていて、二、三人がぽつぽつと席についていた。
「おはようございまあす」
私が言うと
「わあ、大変だったでしょう」
「あらまあ、鼻が真っ赤。寒そう」
と口々に優しい言葉が投げかけられる。
私はなんだか誇らしい気持ちになった。と同時に、寒いところから暖かいところに入ったとき特有の、固く締まったものがゆるむような心地がした。

ややあって、ぱらぱらと車通勤の人たちが出勤してくる。
皆すこし猫背になって、ひいいい、とか、ふえええ、とか呟きながら入ってくるのが面白い。
管理課から、今朝の雪による遅刻は不問とします、という通達が出て、私たちは、はーい、と行儀よく返事をする。

いつもどおりの、仕事が始まる。



大雪の朝、というのはいつだって特別な空気が流れていた。
小学生の頃は、両親が早くから外で雪かきをしていて、子どもたちは簡単な朝ごはんを自分で食べてスキーウェアを上下着て学校に行った。
高校生の頃は電車通学だったから、たいていそういう日は電車は運休になった。
今みたいにホームページで最新情報をお知らせします、みたいなサービスはなかったから、とりあえず駅に行ってみて、ホワイトボードに書かれた「運休」の字を見て家に引き返す。
駅ではたくさんの学生たちが行き場を失ってぼんやりしていて、そこで中学時代の友人に会ったりする。ちょっとした同窓会。
電車が運休の日は、どんなに大胆に休んでも先生たちは咎めなかった。

雪国の民が自然の猛威を突きつけられたときの、ぼんやりとした諦めの気持ち。けれどそれは絶望感ではなく、少しの高揚感をともなっている。

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