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自分にも「推し」があったことに気付いた話

最近話題の「推し」。
推しがある人はいきいきしている、といいます。
推しがある人に羨ましさも感じていたところ、
なんと、自分にも推しがあった、とハタと気づいた、という話です。

推し

私の推しは、
「キャプチャー(CAPTURE)」という車
です。
ルノーというフランス車です。
アイドルでなくてすみません。

5年前に妻と行ったスロベニア旅行。
これが、人生の重要な一部になった、宝物の旅行でした。

そこで借りたレンタカー。
今、この車を所有してはいませんが、ぞっこんの推しです。

偶然のアップグレード

この車をレンタルしたのは、
いわゆる「棚から牡丹餅」でした。
妻が事前予約してくれたのは、軽自動車に毛が生えた「コンパクトカー」。
ところが、現地レンタカー屋さんに行くと、提示されたのは、もう一回り大型の、バリバリのSUV車の、キャプチャーでした。

店のお兄ちゃんは、

これしかないのよね。新車だよ。You are lucky!

と言いました。
海外によくある運営のいい加減さが、たまたま良い方に転びました。

なんにせよ、アップグレードはいいことです。
旅は上々のスタートを切りました。


旅がよかった

この旅が、私にとって特別なものになった理由は、いくつかあります。

・人生初めての左ハンドル車を、勝手がわからない海外で運転
・旅自体が特別(景色、人との交流、食事)
・旅程全部を妻がハンドメイド

ただ、旅行の最中は、旅が素晴らしかったのであり、このレンタカーには何の感情も抱いていませんでした。


帰国後

帰国後、ルノーのエンブレムがやたら気になる。
街中で無意識に探している。
交差点ありの道路標示がルノーに見える。


念のため、私が愛しているのはキャプチャーという特定の車、であります。
ルノーならなんでも良いわけではありません。
あくまで、キャプチャーがスロベニア旅行のアイコンなのです。
が、なぜかそれを通り超して、ルノーのエンブレムまで輝いて見えます。

街中にルノーのエンブレムの車が走っていたら、そこが光って見えます。
前方、後方、斜め、100m以上遠方、どこだろうと分かります。


みなさんにとって、人生を彩る「推し」があるのでしょうか。
それは人ですか、ものですか、コトですか?

モノやコトは「推し」とは言わないのかな?
でも私にとっては、紛れもなくキャプチャーが推し。

なんせ、道行くキャプチャーを写真に収めてます。
観光地で、誰も入って行かないような路地「何かある」と感じ、妻に「ちょっといい?」といって進むと、小汚いガレージにキャプチャーが鎮座、ということもありました。

キャプチャーに乗っていないけれど、キャプチャーのオフ会に参加したい衝動にかられます。
これが推しでなくてなんでしょう。

人生のタイミングと経済力ががいろいろ折り合わず、キャプチャーの購入は夢のまた夢。
現実世界では私の愛車は中古20万円の軽自動車。信じられないコスパで満足しています。でも、そういうことじゃないんです。心の底からキャプチャーに乗りたい。

ちなみに、私は車という趣味はもっていません。むしろ単なる移動手段。
小学生の頃、車大好きな友達がいました。あらゆるメーカーのあらゆる車種を覚えて自慢げに言い当てるのを見ていて「無駄だな」と思っていました。
正面が顔の形をしている、個性がある、と車好きはいうが、顔の形をしているだけで、なぜそこに人格を見出せると思うのか、まったく理解できませんでした。

なぞの化学結合

ところが、キャプチャー以降、やたらと車が気になるようになったのです。
私が好きなのは海外旅行であり、そこに偶然化学結合したルノーのキャプチャーです。自動車ではありません。

今度は、キャプチャーと自動車が化学結合しかけております。
人間の脳は、ほとほといい加減なものです。何がきっかけで、何と何が結合するかわかったものではありません。

また、それが人間の成長のきっかけ、セレンディピティ、というのかもしれません。

私は、どちらかというと冷静・客観的、遠目にものごとを見る。
理屈でなく誰か、何かに心酔する、ということとは、やや距離のある人間だと自己認識しています。

でも、キャプチャーだけは、脊髄が反応する。
海外旅行の記憶だけでも十分な宝物だが、何かの拍子にこのように旅の記憶とモノが化学反応を起こし、分かちがたく結合する、ということがあるんだな、と思いました。


そして、noteのペンネームが「るのー」に決まりました。

とりとめもない、推しの話でしたが、最後まで読んで頂き、感謝いたします。

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