1.悔いのない終わりなどない

自らの経験から得た教訓と後悔と思考に纏わる金魚のフン達を全てまとめてみることにした。さて、読み物を読むときや読んだ後に著者について知りたいと思うかどうかはあなた次第だが、知りたいと思う人間がいることを考慮して冒頭で自己紹介をしておく。

生き方や生きた過程をまとめたものが自己紹介の本質だと考える質なのでここでは簡単に死に方の理想を語って自らの自己紹介と代えさせていただく。「おっと、これは厄介なヤツだ」と思ったそこの貴方「ご名答!」
私は大概厄介なヤツである。だから貴方もその気で読んでいただきたい。
「ヤンキーが子猫を助ける」から物語になるのであって、人畜無害な真面目くんの文章など面白くも可笑しくもあっても読もうなどとは思わない。

本題に戻る。『一番苦しむ死に方をしたい』これが先ほどの自己紹介。理由はそれが一番生を感じられるから。多分。だが、これを他の方に言うと「それは結局誰かに迷惑をかけることになるよ」と一蹴されてしまった。考えの浅はかさにため息もでない。吐くのはテキーラか祝言だけでよろしい。

「悔いのない生き方」なんて嘯く輩は「悔いのない人生」が如何に退屈かを知らない。もし貴方が「悔いのない人生」を送ったのだとしたらそれは貴方が悔いを愚かさで埋めただけなのだ。ラオウも言ってた「わが生涯にいっぱい悔いがある」とあれは「悔いがなかった」と言いたいだけなんだ。なぜなら自身よりも聞いた人間が救われるから。

「結局なにが言いたいの」という声が聞こえてきたので簡潔に一言でいうと
悔いを残すのが人生だ『悔いを残さないようにしなくていいから生きろ』
残した悔いは骨と一緒に燃え尽きるか、貴方がもしラッキーだったなら誰かが拾って海にでも捨ててくれる。

終わりのない随筆。エッセイなんてお洒落な言葉で纏められると恥ずかしくて寝れもしない。痛いやつと思われるのなら怖いもの見たさで読まれるくらい痛く尖ったものになろう。キンキンに尖らせた鉛筆の削りカスだけ置いておこう。もし風に吹かれても、残った彼らがきっと貴方の生きた痕跡をテーブルにこすりつけてくれる。

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