見出し画像

Both Sides(両側)

「コーダあいのうた」を見ました。
家族(両親と兄)はみんな耳が聞こえないという女子高生ルビーが主人公の映画です。映画の中で歌われる「青春の光と影」が私の心にずっしり響いたので久しぶりにブログ書きます。

 両親と兄には「耳が聞こえない」という連帯感があって、ルビーは家族だけどそこから外されている孤独を感じたり、一方で、家族を社会とつなぐ通訳という役割が子どものころから決まっていて、生まれたときからその使命感を感じていたりと、思春期の葛藤などに一緒に苦しくなったりしながら見ていました。
大きくなって自分が音のある世界で夢を見つけることで家族とぶつかってしまい、さらに孤独感が増すという苦しみにこちらもこんな時はどうすればいいのだろうと考えさせられました。
 そんな苦しみの中でルビーは、母親に「自分が生まれた時、耳が聞こえない方が良かった?」と聞くのですが、お母さんは「ルビーが健聴者であるとわかったとき落ち込んだの」と言ったのです。子どもが障がいを持たずに生まれるということを誰もが喜ぶと思っていた私は衝撃を受けました。
「娘が自分とは異なる世界の住人として生まれてきて、母親になれるかどうか不安になったのよ」とお母さんがルビーに告白したのを聞いて、私はいかに自分目線で物事を見ているのかと、自分の世界の狭さにがっかりしてしまいました。障がいというわかりやすい状況で気づかされましたが、自分が経験したことでしかわからないのだなぁと、想像力をはたらかせることができていないこと気づきました。

 自分と同じ人間などひとりもいないのだから、すべてにおいて自分目線で物事を判断してはいけないし、いろんな視点で見る努力をしなければと、この映画に教えられたように思います。

 ルビーが歌う「青春の光と影」ですが、家族に向けて歌詞を手話で披露しながら、自分の感情を届けるシーンではそれまでのいろんなシーンも影響したと思いますが涙が止まリませんでした。

青春の光と影(Both Side Now)の歌詞の和訳では、
両側から愛を眺めてみる、与えたりと受け取ったり。でもそれは私が抱いた愛の幻影、愛の本当の姿を何も知らない。人生を両側から見てみて、得るものもあれば失うものもある。とこんな感じでしたね。

良いとか悪いとか結局わからないものなのだよ••••••ということなのでしょう

 もしかしたらルビーが音のない世界(家族との時間)にいる自分と、音がある世界(音楽という夢を見つけその夢を追う高校生活)にいる自分と、これをboth sidesと表現していたのかもしれません。

 私なりの解釈としては両側から見るというのはトレードオフとも言えるかなと。
映画では誰もが経験できるような状況ではなく、わりと重いテーマでしたが、人生は選択の連続、トレードオフ。「何かを選べばその瞬間何かを失くす」というのはみんな同じ。日常の些細なことだと、今日のメイクをオレンジ系と決めれば、ピンク系を失くしている。私たちは常に何かを選び、その瞬間何かを失くしているのだということになりますよね。それは正しいか間違いか、というものではなく、自分で決めたことという事実があるだけ。

 映画を見てとても感動したし、そしてルビーの置かれた環境と自分の生活をかぶせてすごく考えさせられました。
そして、なぜか要は自分で選んできたこの人生を、誰かのせいにせず後悔しないように生きていきたいという結論に至りました。ちょっとどこからどうなってそんなことにたどり着くの? と自分でもツッコみますが、映画を見てこんなことを改めて考えたのでした。


この記事が参加している募集

おすすめ名作映画

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?