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元SEが伝統工芸の後継者になるまで

はじめまして。
七宝焼窯元・太田七宝六代目 satsuki* です。

まずは自己紹介も兼ねて、私がなぜこの仕事を始めたかを書きたいと思います。

普通のサラリーマン家庭に育った私


今でこそ、太田七宝六代目!後継者!なんて言っていますが、私は太田七宝どころか七宝焼の存在をほぼ知らずに大人になりました。

太田七宝は私にとって母方の祖父の実家にあたります。とはいえ、祖父は太田家の末っ子だったため家は継がず、祖母と結婚して家を離れていて、さらに私の母も結婚後は地元愛知を離れ、私は8歳まで関東で育ちました。

父の仕事の都合で、愛知県の小学校に転入したものの、私の七宝焼に関する記憶といえば、中学校の入学式で貰った校章が七宝焼で出来ていて、それが祖父の実家で作られたものだと母に教えてもらったこと。
その後、母に連れられてあま市の七宝焼アートヴィレッジに行って七宝焼のストラップを作ったこと、それだけです。

ちなみに愛知県内の学校では七宝焼の歴史を授業で習うらしいんですが私の記憶には全然残ってないです。(先生ごめんなさい)

システムエンジニアから伝統工芸の職人へ


大学を卒業後、私はIT企業に就職しました。
ちょうどその頃、太田七宝を継ぐ予定だった太田家長男の急死により、その姉である現取締役社長・平野敦子が太田七宝を引き継ぎ、平野と従姉妹にあたる私の母が会社を手伝いに行くようになりました。
母が手伝いに行くようになって初めて、私は太田七宝という会社の存在を知り、七宝焼に興味を持ちます。

私は土日に平野先生に七宝焼を習うようになり、1年くらい経った頃、先生が体調を崩し、入院を余儀なくされました。その時「太田七宝に入社して後を継がないか」と言われました。


…めちゃくちゃ悩みました。

私は本来「安定大好き人間」です。
子どもの頃の将来の夢は公務員だったし、大学受験の時も、就職後の業界の安定性を考えて情報系の学部を選びました。
自営業、まして伝統工芸という超不安定な業界に飛び込むほどの勇気も度胸もない人間です。
なのになぜ、今、私は後継ぎとして日々修行に励んでいるのか…

それは、私が七宝焼の魅力を知ってしまったから
そして100年以上、ご先祖さまが続けてきた太田七宝が、私の決断次第では無くなってしまうから。

Rose Garden (satsuki*作)

七宝焼って、作り始めるととっても楽しいんです。集中してる時は食べるのも寝るのも忘れるくらい。

この魅力を一人でも多くの人に伝えたい。
その気持ちが迷っていた私をぐいぐい後押ししてくれました。


もちろん今もプレッシャーは感じていて、ここ数年は新型コロナの影響も大きく、将来が不安な時もたくさんあります。でも、何より七宝焼が好きだから、作ることが楽しいから、頑張りたいと思えるし、続けていると思っています。

この仕事をしていて「好きこそ物の上手なれ」という言葉の意味をしみじみと実感しています。
安定大好き大学生だった10年前の私が今の私を見たら、きっとショックで寝込むかもしれないけど…
後悔はしてないです。楽観的な性格が幸いして、不安になってもなんとかなるさーって適当に乗り越えています。

人生に正解なんてない。自分が出した答えを信じて、一度きりの人生を思い切り楽しみながら、この素晴らしい工芸の魅力を伝えられる作品を作り続けていきます。

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