見出し画像

船長と妄想の羊追い

近所のカフェのマスター(船長)は、山奥に住む仙人のごとく静かに、テラスの定位置でパソコンを見ながらコカコーラを飲んでいます。定位置は端っこなのですが、入口が見わたせるので、全ては彼のコントロール下にあります。客が来れば立ち上がりカウンターにゆっくり歩いていく。

カフェは、週7日営業、平日は朝から夜まで、週末や祝日は昼から夜までです。毎日開いていて、閉まってることがありません。船長はだいたい一人で働いていますが、必要に応じてパートナーの女性も店に立ちます。そのパートナーが今怪我であまり出られないので、私が少し手伝い(ボランティア)をしています。

なぜ店休日がないのか、一体いつ休んでいるのか、私にはわからないのですが、一つだけわかっているのは、船長は常に低速で安定運航していることです。クルーズ船のように派手に大勢の客を乗せてショーやビュッフェを提供することはしないし、高速船のように白波を立ててお客様のために急いだりもしません。

太陽がでれば中庭のパラソルを開き、風が強ければパラソルを閉じ。テーブルの汚れが目に余れば拭き、目に留まらなければ拭かない。メニューは用意せず、聞かれれば答える。あるものは提供し、ないものはない、と言う。

黒いキャスケット帽をかぶり、くわえタバコで、中庭のパラソルをスッと開く姿は、まるで大海原で帆船の帆を張るような、悠然とした風格さえあります。ということで、マスターを私はここでは船長と呼んでいます。

ある朝、私は中庭のテーブルの間を掃き掃除していました。チリトリがどこにあるのか知らなかったので、まずは落ち葉を数カ所に集めて、後で船長にチリトリがどこにあるのかきいて、まとめて捨てよう、と悠長に考えていました。

中庭の地面は落ち葉ひとつなく枯山水の庭園のごとくすっきりして、4箇所くらい、お灸のように、集めた落ち葉はこんもりと小さな山になっていました。

私はだいたい仕事が丁寧で遅い本来どんくさい人間です。さてチリトリ、と思った時に、入り口に小魚の群れのように入ってくる人影が見えました。何かの授業だと思うのですが、20か30人かの小学生と数人の先生が、中庭のテーブル席で休憩をとりに来たのです。

私は慌ててカウンターに戻り手伝いをしていると、子供たちに引率している先生がやってきて、「庭に葉っぱの山があるけど」と船長に言いました。

船長は眉を少し上げて私の顔を見ました。「あぁ!それ、ワタシ、チリトリ必要」と私が言うと、チリトリのありかを教えてくれたので、急いで庭へ行き、子供たちの間に謎のピラミッドとして残っていた葉っぱの山を片付けました。

船長は「いいかい、葉っぱは端に寄せればいいんだよ」と、サッサーッとほうきを動かす真似をして、私に言いました。中庭の両端、垣根の下に掃き寄せておけばそれでいいのだ、チリトリなんか使わんでいいのだ、という意味です。

そっか、垣根の下に寄せておけば、葉っぱはいつか土に戻るもんね、自然の偉大さ、目から鱗。とは、全然思いませんでしたが、さすが船長、燃料省エネ運航、サステイナブルな働き方とはこういうことなんだなと、私は感心してしまいます。

しかしながら、まじめだけが取り柄で消耗しがちな青二歳の私は、すぐに船長の教えを真に理解することができませんでした。

はじめのうちは、何を手伝っていいかわからないので、船長に言われたことだけをやっていたのですが、私の昔取った杵柄、良き労働者根性が、速く、言われる前に先回りしてやること、もれなく、くまなく、目を行き届かせること、という日本仕込みのプログラムが起動してしまいました。

まもなく、羊を追う牧羊犬のごとく小走りに、庭の掃除をし、テーブルや椅子を拭き、紙ナプキンを補充し、冷蔵庫のドリンクのラベルを全て正面を向くように直し、とにかく動き回っていました。船長に何を手伝って欲しいか聞かずに、雑談もせずに。

思いつく限りの作業を迅速に終えて、安全確認をするホームの駅員さんのように、あれはやった、これもやった、と心の中で指差し点検をしていた私の顔を見て、船長が「全てはきみのアンダーコントロールになっているかい」と言いました。

船長は半笑いで私に冗談のように言ったのだと思うのですが、私には思い当たるところがあり、それは、自分が一人前だと勘違いしていきがっている修行僧に、仙人が静かにピシャリと発したような言葉として届きました。

私は、相手が望んでいないのに、やりすぎる、面倒な傾向を持ち合わせています。それが善意だとしても、相手にとっては窮屈に感じるし、トゥーマッチなのです。よく、相方に、やりすぎだ、落ち着け、リラックスしろ、と言われるので。

そもそもは船長のパートナーが稼働できない穴埋めに、そして現地語(カタルーニャ語)の習得のためにという建前で、ここにボランティアで来ているのに、人と話すことが苦手な私は会話はそっちのけで、作業をこなすことにすっかり没頭してしまっていました。

知人の家に若いボーダーコリーが飼われているのですが、その犬はペットとして仔犬の頃から飼われているのに、いまだに先祖の遺伝子によって牧羊犬だと思っているのか(性質だから仕方ないのですが)、常に周囲に目を光らせ、家族の動向を監視します。ソファーの上でお腹を見せてぐーぐー寝ているような愛玩犬とはずいぶん違います。牧羊犬なので働き続けたいわけで、しつこく何か活動を要求します。リラックスしないで、執拗なのです。

相方に「私はあのボーダーコリーみたいじゃない?」と訊くと、「うん、ちょっとね」と同意しました。

船長のカフェは、船長の船であり、船長のやり方が絶対なのを私はすっかり忘れて、船の中を勝手に妄想の羊を追って走り回っていました。

船長がいいなら、それでいいんだ、と自分に言い聞かせて、今では庭の落ち葉をチリトリで拾う回数を6割くらいに減らし、できるだけ垣根の下にサッサーっと押しやるように、精進しています。

私の良き労働者根性も執拗で粘着質ですから、まだ簡単に全解除することができませんが、ここは船長の船、と肝に命じるようにしています。

▼ 働き改革済みの船長

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?