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壁の脱腸と気にしすぎのポリス

最近、私が住んでいるアパートの階下の部屋に、エアコンの取り付け工事をするため業者がやってきました。階下の住人は、工事に立ち会いません。

なぜなら、彼らはイギリス人で、ここ(スペインの島)には年に2〜3度来る程度、普段は住んでいないからです。我々は賃貸で常時くらしていますが、彼らにとってはホリデーハウス、つまり別荘であり、年間の9割以上はただの無人の空間として鎮座しています。

エアコンの取り付け工事は、騒音は正直うっとうしいですが、それはいろいろお互い様でしょうから受け流します。すぐ吠えたくなる私も、それくらいは黙って堪えられる成人です。

しかし、このエアコンの取り付け工事は4日間に及びました。日本ではアパートは古くても築数十年が普通ですが、こちらは100年越えする古い建物も多く、現代テクノロジーの導入は一筋縄にはいきません。

3階建の屋根の上に室外機を設置して、室外機から本体までのチューブを、外壁ではなく建物の中に通し、2階の部屋へ引っ張る、結構な手間のかかる工事でした。

そんな大がかりな工事を家主不在で行うのは、不安しかありません(他人の工事ですが)。多くの場合、工事業者は依頼された仕事を、最も簡単に終わらせることに熱心ですが、ベストな仕上がりのために尽力する気はないように見えます。もちろん、丁寧に細やかに仕事はしません。

エアコン取り付け業者は、工事途中に共用階段の壁にあった電灯を一度動かして戻したのですが、動かしたことで壁の中に隠れていた色とりどりの電気配線が引っ張り出され、脱腸したように壁からビヨンと飛び出ています。

まさか、これで終わりじゃないよね、ちゃんと脱腸元に戻すんだよね、と心配で私の心のポリスはざわついています。

おおらかで、柔軟で、ユーモアあふれる人間になりたいと、私は憧れ続けているのですが、残念ながら、いまだに細かすぎる、まじめすぎる、融通の効かない人間です。自分では認識できないものですが、他人から「気にしすぎ」「考えすぎ」とたびたび忠告を受け、相方からはしばしば「ポリスか」とたしなめられます。

翌日、壁の配線の脱腸はやはりそのままです。早朝、ジムに出かけるために玄関にいる相方に、脱腸のことを不満を表現して説明すると、「わかったから、早くウォーキング行きなさい」と話を流されました。

ウォーキングから戻り、私は母に用事があり電話して、ついでにこの脱腸のいらだちを伝えると、母は「そんなに気になるんね、もう、見んさんな」と言いました。

私にはなかなか理解し難いのだけど、そういう、“解決しようとしない選択肢”があるのかと、割と真剣に驚きました。

世の中とはそうやって回って行くみたいです。どうやら、私が「気にしすぎ」「考えすぎ」で「ポリス」なのでしょう。

その日の午前10時頃、我が家のドアベルが鳴り、出ると、長いあごひげをたくわえ、腕にタトゥーがたくさん入った、総合格闘技ファイターのような大柄な男性が「おはようございます。屋根の上で作業をするのに、お宅の窓を通らせてもらっていいですか?」ときいてきました。

平日の朝は、一般的に、のんびり心に余裕のあるタイミングではないと私は思うのですが、相方は自室で仕事のオンライン会議中、私は出かける前で所用をしていました。

特に他人に入られて困る実害はないのだけれど、心理的にウエルカムではなかったもので、「うちの中で?そんなこと急に言われても、昨日のうちに知らせてくれてたら対応してたけど、今?」というと、ファイターさんは「10分だけだから、すぐに済みます」と言います。

何も事前に知らされておらず、前日の騒音やホコリでうんざりしていたのもあり、私の寛容さは、ネズミのチョッキのポケットより小さくなっており、「どうぞどうぞ」と言ってあげることができませんでした。

「私は今すぐ出かけるので対応できないから、相方が会議終わったらあなたの話を聞くように伝えておくから」と言うと、「どのくらいかかりますか?」とファイターさんの営業スマイルにかげりが見えたのですが、「それは私にはわかりません」と言って去りました。

後でミーティングを終えた相方が外に出てみると、すでに彼らは別の場所からハシゴを使って屋根へアクセスして作業を進めていたので、私たちの部屋の中には入ってこなかったそうです。

そこで私は気づいたのですが、私が住んでいる建物は、私たち以外、どの部屋も留守で、もし私たちも留守だったら、始めからうちの中を通らない方法で作業したわけで、我々の朝を邪魔しなくてもできたんじゃないかと。

作業に協力してあげなくて悪かったかなと、私はかすかに罪悪感を抱いていたのですが、気にしなくていいですよね。それ以上に、彼らが動かした共用階段の電灯の脱腸(壁から飛び出した配線ケーブル)が放置されていることに、私はいらだちを感じていました。

工事は三日目になり、脱腸はまだ放置されています。この人たち、作業を終えたら、脱腸しっぱなしのまま帰るつもりだ、私の心のパトカーはサイレンを鳴らし、頭上では赤いランプがくるくる周りました。

今すぐ、あんたたち帰るまでに脱腸の直してよ、と言いたいのですが、私のスペイン語力では伝わる気がしません。私はメモ紙に書き、階下のドアベルを鳴らしました。

出てきたのは総合格闘技ファイターさんではなく、南米出身と思われる若者作業員です。彼に「こんにちは、私、上の階の住人なんですけど」と言ってメモ紙を突き出し、階段の電灯の配線飛び出てるの治してね、と書いたものを見せました。

若者作業員は眼球を左から右に動かしながらメモを読み、「わかったよ、2階と3階の間の電灯ね、後で見るよ」と言いました。私は、どうだか、と思いながら、「頼みますよ、ありがとう」と言って帰りました。

工事四日目、もちろん配線の脱腸は飛び出たままです。

朝の仕事前にコーヒーを飲みに行くのに、私たちが家から出たところ、作業員のファイターさんに会いました。しかし、私は、前日に相方と母から気にしすぎだと指摘されてますから、世界はこうやって回るのだと、グッと堪えて、口を開かないようにしていました。

私はあいさつして通り過ぎようとしたところ、相方が「ご存知だと思いますけど、階段の電灯の配線が出ているの直してくださいよ」とファイターさんに声をかけました。

「わかってるけど、エアコンのチューブ通して、電灯の位置がずれたから、配線は出ちゃうんだよ」とファイターさん。しかし、配線ケーブルが電球に当たってて危ないし、もう少しなんとかしてほしい、と相方は伝えて、私は、どうだか、と何も期待せずにいました。

四日目の工事が終わり、静かになった夕方に階段を通ると、何本も飛び出していた電気ケーブルはビニールテープで巻かれて、控えめにおさまっていました。

すでに諦めて期待していなかった私は、予想外の展開に喜びました。

細かいことをポリスし続けていたら平穏は訪れないのですが、全く言わないと色々な美しいものが「つぎはぎ」的に崩壊して行くようで。どんな時、見ないようにして、どんな時、主張したほうがいいのか、バランスが難しいものです。


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