見出し画像

生きづらい性格

私は、真っすぐな性格だ。

良く言えば、素直で裏表がない。
悪く言えば、堅物で曲がったことは認めない。
おそらく現代では生きづらいし扱いづらい性格。

この性格は、後日個別に詳しく書こうと思っているが、

・私の父方の血筋
・彼らからの子育て
・程よくヤンキーな地元
・女子校で生き抜くために身につけた術
・この時代に未だ男尊女卑&ハラスメントの職種に身を置いていた経験

この5つは、私のこの性格を形成する要素になったといえる。


職場の私は、いわば風紀委員と革命家を掛け合わせたような感じだ。
忖度なんて絶対認めない。
曲がったことも認めない。
私は私が部下じゃなくて本当によかったと思っている……自分で言うのもなんだが、説得するには強敵である。

とはいえ、私もいい年の大人ではあるので、なんでもかんでも噛みついているわけではもちろんない。
普段の仕事で絶対的な信頼を得なければ、通すべき時に話を通すことはできないと思っているし、信頼を得るためのコミュニケーションが大切なこともわかっている。
仕事に対する向き合い方ついては、私の父の子育てが大きな影響をおよぼしているが、彼の子育てについては後日書きたいと思う。


私が戦う時は、

・筋が通っていない時
・今言わなければ後悔すると思った時
・忖度や不純な力が働いた時
・自分の大切な人、物を守らないといけない時

それ以外では戦うことはない。
戦う事は体力も心も削る。特に私は、とてつもなくすり減らされる方だ。それを天秤にかけても、通さないといけないと思った時にしか戦うことはない。


経験上、この性格は生きづらいのはわかっている。
毎日150%で真正面からぶつかっていって、曲げようとしてくるものと対峙していく。心も身体もすり減らされる。下手したら1日に何回も攻撃に合う。実際、身体が悲鳴をあげているのに気づかず、倒れたこともある。

戦わずに、考えを曲げて、そのまま波にのまれた方が楽だとはわかっている。でもそれができない。
後々確実に、曲げた自分に対しての後悔と憎しみでいっぱいになることもわかっているからだ。

正しい事を、正しいというだけで通す事が難しくなってしまったこの世の中に、
心が傷つく事を避けて避けて生きた方がいいとされるこの世の中に、
私みたいな人間はとても生きづらい。
でも私は、自分の心身が保つ限り、後悔しない人生を送るために、戦士であり続けたいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?