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アクリル板がなくなって

私のバイト先では、レジにアクリル板があった。コロナの飛沫感染対策のアクリル板だ。今のバイトを始めたのは去年の10月。つまり私にとって、それはずっとあるものだった。アクリル板がないときのことを、知らなかった。

つい最近、アクリル板がなくなった。コロナが5類に移行したときにアクリル板がなくなったお店が増えた気がするけれど、私のバイト先ではそのときにはなくならなかった。

アクリル板があると、お客さんの声が聞き取りづらかった。お客さんにとってもそうだったかもしれない。お客さんの声が聞き取れなくて、聞き返す。または、聞き間違える。このパターンが苦手だった。私って耳悪いのかな、と本気で疑った時期もあった。

一方で、アクリル板があると安心感があった。うまく言葉にできないけれど、コロナ感染対策とは別の意味での安心感があった。
基本的に人と関わることが苦手な私にとって、”1枚の板を挟んで”対面しているという事実は救いだった、、のかな?
なんだか守られているような気がしていた。

アクリル板がなくなって、お客さんが近く感じられた。これは良い意味でも悪い意味でもなく、とにかく距離が近く感じられた。
お客さんの声が聞こえやすくなった。自分の声を遮るものもなくなった、そういう感覚があった。
すべてがオープンになった、という表現がいちばんふさわしい気がする。
初めての体験だった。

店長が言った。「全部見られている気がして、恥ずかしいね」
恥ずかしい、、私の感覚とはちょっと違う気がした。でも、アクリル板がなくなったことにプラスではない感情を抱いている人が他にもいるということがわかって安心した。

私はアクリル板がなくなったことに対して、プラスの感情を抱いているとは言えない。マイナスの感情を抱いている、とはっきり言わないのは、自分でもよくわからないからだ。
なんだかよくわからないけれど、ちょっと怖い。そんな気持ちが自分の中にある。

「もう何年もあったから」と店長が言った。そうか、何年か前にはなかったんだ。これが普通だったんだ。
その”普通”だった時期には、マスクもしていなかったのか。アクリル板なし+マスクなしで接客をする自分なんて、想像できない。
…無理かも。

コロナ禍で変わってしまった感覚。元に戻るのは何年後だろうか。私はきっと、当分無理だなあ。

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