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感性は千差万別だから誤読される

感性は千差万別だから誤読される。

多くの作家がこれを前提に物語を書いている。

だからこそ、小説は少数派の味方になり得る。
もし読者からつくり手の側に回ったら、どうやって自分の発信した文化が消されるのかは知るべきではないか。
時代とともに消えるのではなく消されることがある。
文化大革命やウイグルで起こっていることなど

声なき声を掬う矜持。

簡単に理解できる物語ほど消費しやすい。
それだけ多くの人に届いている。
それに伴って利益もある。
そう思って、多くのメディアが切磋琢磨し、今がある。
だが、そういう作り手の考えの想定以上に物語は残る。

現実を見て真実を描こうとする物語の方がちゃんと響き磨かれて輝いていく。

利益を求めすぎるがあまり、物語を情報に落とし込み、さらに他国に情報を渡すような状況が続いている。

総務省がラインヤフーに指導した一件は、日本人に残っている矜持だと思う。

理解するには時間がかかる。
だが、理解できなかった過去の自分を恥じる必要はない。
理解しようとしなかった自分を恥じろ。

ここ最近わかったことは、普通に理解するのにはものすごく時間がかかることで、感の良い人でないと一度では理解できないことだ。

これは読解力にも通じているが、ワンピースの感想を語る動画があんなに伸びるのは理解できる情報量の差がコンテンツになっていると気づいた。

概ね普通の読者も視聴者もベタなものしかわからない。だから、テレビマンたちはある程度適当にやってるのだ。

でも作ってる側は、ちゃんと一歩先の現実を描いている。つまり現実を生きていればわかるように書いている。

ここに差が生まれる。安心したい者たちが現実の中でのファンタジーやファンタジーの中のベタを求め、自分と現実に向き合いたい人たちがファンタジーの中の現実や現実の中の都合の悪い事実に焦点を当てる。

でも、まぁ、ほとんどの作者は読者の安心のためになんか作ってないんだよな。たとえそれが、売れるとわかっていようと。
理解してくれと願い、世に出しているのだから。

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