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鴨川の対岸には、思いを馳せるあの子が・・・   京都

こんにちは。

京都の御池通にあります、夏目漱石先生の句碑を訪れました。


木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに

春の川を 隔てゝ 男女哉   漱石

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句碑は昭和四十一年(一九六六)十一月、「漱石会」が明治の文豪夏目漱石(一八六七~一九一六)の生誕一〇〇年を記念して、句にゆかりの現地に建てた。
漱石は、生涯、四度にわたって京都を訪れた。最初は明治二十五年(一八九二)七月、友人で俳人の正岡子規とともに。二度目は明治四十年(一九〇七)春、入社した朝日新聞に「虞美人草」を連載するためで、三度目は二年後の秋、中国東北部への旅の帰路であり、四度目は大正四年(一九一五)春、随筆「硝子戸の中」を書き上げた直後であった。
このとき、漱石は、画家津田青楓のすすめで木屋町御池の旅館「北大嘉」に宿泊。祇園の茶屋「大友」の女将磯田多佳女と交友を持つが、ある日、二人の間に小さな行き違いが起こる。漱石は、木屋町の宿から鴨川をへだてた祇園の多佳女を遠く思いながら発句を送った。句碑にある句である。
この銘板は、平成一九年(二〇〇七)十月、京都での漱石を顕彰する「京都漱石の會」(代表・丹治伊津子)が発足したのを機に建てた。


と、古色を帯びた木製の看板に記載されています。

鴨川の清流の隔たりは、漱石先生と御多佳さんの距離とも読むことが出来ます。漱石先生が対岸を眺めながら句と読まれた姿を想像しますと感慨深いものです。

鴨川はカップルが等間隔に並んで座り、愛を深める京都の観光スポットです。それが永遠の愛であろうと、禁忌に満ち溢れた愛であろうと、鴨川の句となり、詩となり、小説となり、そして、せせらぎの一部に溶け込んでいるのでしょう。

時代は流れましたが、人の感情は変わらない。

素晴らしき京都!!愛しき京都!!



文学碑へ行くことが人生の楽しみになってきましたので、新しいマガジンを作りました。





花子出版     倉岡


文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。