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「タイマグラばあちゃん」澄川監督との出会いと25年味噌

 南部玉味噌を追いかけていたら「タイマグラばあちゃん」やってきた。
探し求めていると向こうから歩み寄って来てくれることがあるもので、思い掛けぬ出会いとマサヨばあちゃんの味噌のお話し。

なぜ今の時代にあって南部玉味噌を追求するのか

庶民の私でも画面をタップすれば遠くの物が届く。お金さえ出せば大抵の物は手に入る時代になぜ自然界から野生の麹カビを捕まえようとしたり野草やどんぐりを食べてみたいと思うのか。

 米も純粋培養された安心安全な種麹も手に入る時代に野生麹で味噌作りをしようとする意味が理解出来ないと発酵界の著名な先生に眉を顰められたことがあった。

 人類が美味しく安心安全に生きるために種麹屋さんは純粋培養を続けて来られた。室町時代には既に麹座という酒造りのための麹を製造し、販売する座があったのだ。
 種麹業界を冒涜する気持ちは微塵もないことをご理解いただきたい。
日頃は甘酒や味噌用、醤油用など種麹を購入して麹作りを楽しんでいる者である。

 東北・北上高地に命を繋いできた味噌作りがあったこと。そのことを伝えたいのは勿論だが、かつての味を知りたくて発酵マニアが試してみることはあまりに自然なこととご理解いただきたい。

 もう一つ私を突き動かすものにタイマグラばあちゃんを通し、会えなかった自分の婆ちゃんへの思いがあるようだ。

私は「ばあちゃん」を知らない

私の父は大正生まれで、50を過ぎてから私の父親となった。父の両親は既に他界していて祖父母については聞かず終いである。
20歳年下の母も幼くして母親を病で亡くしていたので私は婆ちゃんを知らない。

 夏休みに訪れる父の実家の茅葺き屋根の主屋、土間、五右衛門風呂が好きだった。家の周りは一面の田圃で敷地内には材木が積まれていた。
房総の田舎の六男坊は戦前から京浜工業地帯の造船所へ勤め、戦時中は軍艦を造っていたという。
 父が子供時代に何を食べていたのかどんなお味噌で育ったのか聞きそびれたことが今悔やまれるが、東北の寒冷地の暮らしむきとはだいぶ異なっていたとは想像出来る。

「タイマグラばあちゃん」が我が街にやってきた

玉味噌を初めて作った翌年の5月 映画「タイマグラばあちゃん」が我が街にやってきた。

上映後、タイマグラに移住して15年もの間撮り続けた澄川嘉彦監督のお話しを伺うことが出来たのだ。

電気が通じた最後の集落・早池峰山麓の「タイマグラ」と呼ばれる開拓地に暮らす久米蔵じいちゃんと向田マサヨばあちゃんの自給自足の暮らしを描いたドキュメンタリー映画である。
「タイマグラ」はアイヌ語で「森の奥へと続く道」という意味だそうだ。
東北はアイヌ語の地名が多い。
「トーヌップ」遠野もそう。
日詰、石鳥谷、厨川、沼宮内…
https://blog.goo.ne.jp/sty_i2008/e/b84bc9399f338cea013ac0ae4e8d6a80

 淡々と描かれる自然と共にある暮らし。畑から4000年前の縄文土器が出たそうだ。その頃から暮らしが変わっていないのではないかと澄川監督は語る。

澄川監督の制作ノート「タイマグラ通信」を求め、サインをいただいた際に玉味噌作りに挑戦していることをお伝えした。
物静かな監督の表情がパッと明るくなったことがとても嬉しかったのだが、まさか後日再会を果たすとになるとはこの時全く想像出来なかった。

タイマグラ通信―映画『タイマグラばあちゃん』制作ノート (ハヤチネ叢書) https://www.amazon.co.jp/dp/4924981443/ref=cm_sw_r_cp_api_i_HGJEG748FWZ0Q1HS6C1Z

澄川監督との再会

 私の勤める工房はガラス体験の他、食の体験も併設しており、好きな分野でもあることから其方の企画運営にも力を注いでいた。ある企画に中高年男性が多くご参加下さり、なんとその中に澄川監督がいらっしゃったのだ。
 思いがけぬ再会に大はしゃぎしてしまいそれがご縁でなんと花巻のご自宅へお招きいただくことになったのだ。

マサヨばあちゃんのお味噌を味わう奇跡

澄川監督とのご縁は私に奇跡をもたらした。
まさかマサヨばあちゃんのお味噌を味わうことになろうとは。

マサヨばあちゃんは2020年に82歳でタイマグラの風の人となった。
その5年前に味噌桶から取り出したものだから25年は経っているという。

 大切に残された貴重なお味噌を差し出して下さった監督のお心が心底嬉しかった。
 ひと舐めいただくとフルーティーな梅のような味がした。
生命力宿る特別なお薬のような。
強いて例えるなら大徳寺納豆、梅丹のような。

https://www.google.com/amp/s/www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/sokohaka/16-00307%3Famp%3D1

昨年、徳島の三浦醸造所さんの天然菌で作るねさし味噌の貴重な20年ものをいただいたのだが、それもフルーツのような香りが出ていたのが不思議である。
https://www.miura-jozo.com/produce_mamemiso.html

マサヨばあちゃんの玉味噌は僅かに米麹が入る。
梅雨時に「とも麹」と言って取っておいた米麹を種として麹を作り塩と合わせて一斗缶に入れて保存するのだそうだ。
冷蔵庫の無い時代保温環境の無い時代の知恵。
 岩手の寒冷地ではお米が育ちにくく大変貴重なもので雑穀、小麦、麦などが主食だったと聞く。
南部煎餅は米の煎餅ではなく小麦だ。

 3月の第一週に壱石五斗の大豆を3日かけて踏んでは丸め、小屋に吊るしカビが着いてから仕込みをしたと聞く。壱石樽が6個あったとは驚きだ。
 米麹が1〜1.5割ほど。
豆だけでも米麹が入り過ぎてもこの塩梅にはならないと思う。
何よりマサヨばあちゃんの手の味なのだろう。

おわりに

思いは通じご縁の糸は自然と繋がる。
微生物に触れ心を寄せているとこの類いの不思議はよくある事のようだ。
 目に見える世界はほんのごく僅かな現象で、私達の五感の及ばないところでこの宇宙は成り立っているようにも思える。
授かった奇跡の一粒種の命。
未だに何処にも着地出来ていないように思えるし、この先も見えないでいるがそれでも生かされているのだ。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は野田村のおばあちゃんの玉味噌について綴れたらと思います。

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