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:読書記録 自己肯定感ドン底時代の過去の私に贈りたい本

最初に。自己肯定感ってタイミングもあるよな。

色々経験をしてきて今なら心身ともに理解できる言葉がたくさんあって、過去の私に「そう!こういうことなのよ!もうちょっと前を向いてみようよ!」と言いたくなる。

それと同時に、あの時の私が贈られていたとして、読んでいたとして、当時の私はうまく受け止められていただろうか。

むしろ、「この本のような感覚にならないと!」と焦ってありもしない自己肯定感を作り上げては脆く崩れて、自信をなくしてさらに下を向くようになっていたかもしれない。

自己肯定感は大切だけど、これを読んであげていってほしいとまでは思わなくて、人それぞれの使い方があるだろうと思う。少なくとも自主的にこの本は手に取らないと。

一度読んで、忘れて、色々経験していく中でここの言葉を思い出すかもしれないし、ここの言葉に影響を受けて、過去の何かに対して、別の見方で見てみようと考えたり。

まだ読み始めたばかりだけど、この本と自己肯定感ドン底時代の私が出会っていたら、良い方向ににいっているのか、悪い方向にいっているか少し気になるけど、どちらにせよ今がきっとベストだってことだけわかりました。笑

ここまでめちゃ力説したけど、後半はちょっと宗教ぽさを感じて閉じました。笑

読書記録:「ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う」若松英輔

出会い

彼といった大阪旅行で「toi books」でタイトル見てびびっときた本。
旅行先で本屋さんに行くのが趣味のひとつ!今回も行けてよかった!

付箋<素敵な言葉、いいと思った言葉>

私たちは誰かを愛することができなくても、自分を愛することができる。さらにいえば、愛は自分を愛することから始めなくてはならないのかもしれないのである。

受け容れるとは、至らなさをそのまま認めるということに留まらない。むしろ至らなさの奥に潜む可能性を認識することを求められている。

だが、言葉を交わしていたときにはよく理解できなかったことが、別れて部屋で「ひとり」になると、相手の気持ちが沁みるように分かってくる。発せられた言葉にばかり心を奪われ、相手が、声になる言葉の奥で物語ろうとしていたことの存在に気が付く。


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