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「コラム 7」 改めて弁理士と特許制度について考える

米国石油パイプラインがサイバー攻撃され、操業を停止していた問題で、運営会社がハッカーに500万ドル(約5億5000万円)を支払ったそうだ(朝日新聞5月14日)。

この問題、1980年代から90年代に吹き荒れたパテントトロールに似ていると思う。

パテントトロールというのは自ら有する特許を用いて、侵害している、もしくは侵害している恐れがあるとして相手企業を脅し、多額の賠償金やライセンス料を要求する。これにより欧州や日本の自動車や電機企業が多額の賠償金を支払ったことがあった。

さて、本題だが、ヒトとモノがつながる世界、IoTが発達した世界、生産者と消費者が合体し、プロシューマとなった世界では特許制度や、弁理士はどのような影響を受けるのだろうか。

特に後者のIoTの発達により生産者(プロデューサ)と消費者(コンシューマ)が一体化したプロシューマになると、個人にとって最も良いと感じるモノを容易に手に入れることができる。まさに個性的な商品ということになり、逆に他人にとっては何の価値もないモノと言い換えることができ、要するに本人もしくはごく限られた同調者にしか価値がない、ということになる(逆に言うと、大多数の他人にとって意味のないモノ)。

少量多品種という言葉があるが、それの極限状態と言えるだろう。そういった個人的なモノに権利を主張して意味があるのだろうか。

たとえそのモノが巧妙に真似され、生産されたとしても誰にも売れない。結果的に、そういったモノは誰も真似をしようとしない。すなわち、特許的な価値がないことになる。

もちろん全てのモノに当てはまるわけではないが、これまでのように特許料を支払ってまで権利を主張することに意味がなくなる。この傾向は、第四次産業革命の進展、人工知能の発達とともに明確となり、特許の出願件数は減少に転ずると予想される。

出願数が減る中でも有能な弁理士は生き残るだろう。では有能な弁理士とはいったいどういう人物で、どういう能力を持っているヒトなのだろうか。

これまでの多くの弁理士は、発明者らの依頼を特許明細書として体裁を整え、特許庁へ出願し、権利化を目指していた。この従来のやり方が通用しなくなる。単に特許明細書を作成するだけなら、例えば人工知能、コグニティブコンピュータ『弁理士ワトソン』がやってくれるだろう。それも完璧に。

ヒトの発明には知識や知能はその質、量ともに重要だ。さらに発明には、そのヒトのこうしたい、こうなればいいのにという感性が大きく影響している。知性と呼ばれる部分だ。これからの弁理士は、その中に一歩踏み込むことが重要となるだろう。

弁理士業務は、特に特許法に則るという知識が重要だが、その知識の部分が『弁理士ワトソン』に取って代わられるのだ。

次に特許作成ソフトは我々が保有するスマホの中にインストールされ、身近なものになる。そうすると、個人の発明によるものなのか、特許作成ソフトや人工知能によるものなのか、その判断は難しくなる。

それを証明している世界がすでにある。それは米国でのビルボードヒットチャートである。ベスト100曲の内、人工知能による作曲は40パーセント以上あると噂されている。現状では、これらの作曲に著作権料が支払われているが、果たしてこれは特許法上、真に正しいことなのだろうか。

あなたは人工知能が作曲した曲や絵画に感動することができるだろうか。

近い将来見直されるような気がしてならない。

そうすると、自ずと特許制度も大きく変更が迫られることは火を見るより明らかだ。
                   つづく

「コラム 8」 曽呂利新左エ門と豊臣秀吉のおはなし
 人工知能の能力は指数関数的に増大する。この指数関数について新左エ門と秀吉との話がある。

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