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猪木弁当

 私の夫は寸劇役者である。
 大体の場合、その幕は突然上がり、余韻がないままに急に幕が下りてしまう。
 たった一人の観客である私は、突如として始まった家庭内寸劇に笑い、うろたえ、呆然とするのが常である。

 ある日、私は仙台にまつわる話をいろいろと調べていた。
 仙台といえば、楽天イーグルスの本拠地でもある。食べ物好きの私は、楽天モバイルパークで食べられるスタジアムグルメのサイトを眺めていた。

 これまで私は、野球というものに関わりを持たずに生きてきた。そのせいか、野球のスタジアムには食べ物はコンビニくらいしかなく、せいぜい、かち割り氷かビールくらいしか飲食できないものと思い込んでいた。
 だが最近は、野球選手のプロデュースするグルメやお弁当、スイーツなども食べられるらしい。

 そのスタジアムメニューの豊富さを見ると、私のような野球音痴でも一日楽しめそうな雰囲気がある。

 各選手のプロデュースするグルメを見ていると、これが結構楽しい。中でも私の目を引いたのは、投手の則本 昂大選手のプロデュースしている一球入魂弁当だった。おかずの種類が豊富でボリュームがあるのに、バランスがいい。デザートに串切りのオレンジも入っていて懐かしさを感じる。

 何より、一球入魂弁当という名前が良い。
 私は近くにいた夫に話しかける。

「ねぇねぇ、見てこれ。闘魂注入弁当だって」

 一球入魂闘魂注入を、つい言い間違えてしまった。
 夫はすかさず、
「アントニオ猪木が売ってそうな弁当だね」
 と、言い出す。いや、むしろアントニオ猪木しか売ってはいけない気もする。
「でも、ちょっとありそうじゃない? 闘魂注入弁当」
 私は言い間違いをごまかすように、そんなことを言ってみる。もしかしたら、実在したかもしれない、などと思う。
「猪木が1個ずつ、手売りしてたかもしれないね」
 私が適当にそんなことを言うと、夫の目がキラリと光った。

「元気があれば、何個でも食べられる。1個ですか! 2個ですか! 何個ですか!」

 突然、訊かれた。
 夫の寸劇が始まってしまったようだ。こういうとき、どんな状況であろうとも、この寸劇に乗ってあげるのが妻の役目である。 

「2個で」
 私は答えた。夫と私の分である。
 しかし、夫は不満げな顔をした。なぜだ。

「1個ですか! 2個ですか! 3個ですか!」

 再度、注文をとりにかかる夫に、私は憤然とする。
「2個だって言ってるでしょうがっ!」
 すると、猪木に扮する夫は「ダアァァァー」と言いながら、ブンブン首を振っている。どうやら2個では足りないらしい。
「じゃあ、3個でいいよ。私が2個食べるから」
 仕方なしに言うと、夫は喜び勇んで、その小さな拳を振り上げた。

「いっち、にっ、さん!こ ダァー!!!!」

 夫は、小さな顎をゴリっと突き出した。

 寸劇をやり切った夫は、途端に静かになり、何事もなかったかのように、横で麦茶を啜っている。スイッチのオンオフが激しいのが、我が家の寸劇の特徴である。

 結婚して24年。慣れてはいるが、突然、開演する夫の寸劇に食らいついていくのは、なかなか大変だ。
 最初から「3個」と答えられなかった、己のセンスのなさが悔やまれる。

 今度、楽天モバイルスタジアムに行く機会があれば、アントニオ猪木氏を思い浮べながら、則本 昂大選手がプロデュースした一球入魂弁当を頂きたいと思っている。





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