花丸恵
面白いことを、ちょろっと漏らしがちな夫が登場するエッセイです。面白いだけではなく、たまに哲学的なことも言ったりします。
好きなものやおすすめのもの、おいしかったものなど、既製品でよかったもの、感動した作品などを記事にしたいと思います。「食べたり飲んだり作ったり」とマガジンが重複してしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。
思いつくままに書き留めたジャンルなしの日記やエッセイです。
自作の掌編小説(ショートショート)を集めました。
自分が書いた食べ物やお酒などに関するエッセイをまとめました。 食べた感想だけでなく、食べ物に関して疑問や思ったことなども書いています。 今後もどんどん追加していきます。 食いしん坊ほとばしる雑文ですが、楽しんで頂けたら幸いです。
◇ 頭にきた。もうあんな男とは別れてやる。 電話を切ってから、一時間近く経つのに、この腹立たしさが収まる気配はない。気がつけば、ベッドに座ったまま、膝の上で、ずっとこぶしを握りしめていた。開いてみると、手のひらにはじっとりと汗がにじんでいる。私はティッシュペーパーを一枚引き抜き、手を拭く。それをグシャグシャに丸め、ゴミ箱めがけて投げ入れようとしたが、角に当たってポロリと落ちてしまった。何をやってもうまくいかない。 「真希ちゃん。来週の旅行、ダメになっちゃった」 「
「楽ちんの《ちん》って何だろうね」 休日の昼下がり、夫がそんなことを言い出した。 聞いていたラジオ番組がショッピングのコーナーになり、 「これがあると、楽ちんですよ!」 そんな商品紹介をしていたらしい。 確かに、考えてみれば、 「これは楽ですよ!」 で意味は通じる。わざわざそこに《ちん》をつける必要はない。 Xなど文字制限のあるSNSが流行し、何でも略し、簡潔に伝えることが多くなっている昨今、わざわざ 「楽ですね」 で済むことを、文字数を増やしてまで 「
今日、note創作大賞2024の開催が発表されました。 昨年の創作大賞は大いに盛り上がりましたね。 現在も、受賞作品が書籍化されたり、書籍化に向けて準備万端、予約受付てます! といったニュースが続々と発表になっています。むしろ、盛り上がった、という過去形ではなく、盛り上がりが今も続いているといった印象です。 私事ではありますが、昨年、自作の小説を創作大賞の入選に引き上げて頂きました。 皆さんに読んで頂けたことが本当に嬉しく有難く、授賞式でnoteの運営の皆さん
その日、何十年かぶりに夫婦でマクドナルドに行った。 久しぶりなのに、昨日も来たような見慣れた店構え。どこのマクドナルドに行っても、店の様子が変わらないのは、大企業ならでの戦略の一つなのだろうか。 そんなことを思っていると、奥のほうから 「テレレ、テレレ」 ポテトの揚げ上がりを報せる音が聞こえてきた。 この音を生で聞くのも久々なはずなのに、昨日聞いたかのような耳慣れた音に感じる。 私はダブルチーズバーガーにポテト。夫はフィレオフィッシュバーガーにサラダを頼んだ。
たまたま見たドラマの、たまたま聞いたセリフが、妙に頭に残ることがある。 そのドラマの主人公である主婦は、目の前にいる夫にこう言った。 「私は毎日、マイナスをゼロに戻してるの」 足の踏み場が確保されたフローリング。衣装ケースに畳んでしまわれている洋服や下着。温かいご飯。いつの間にか沸いているお風呂。 快適な生活を送るためにある行動の前後には、必ず家事がついて回る。 妻の悲痛な叫びを、夫がどう受け止めたか、その後のドラマの展開は憶えていない。 だが、家事をす
「そろそろ靴を買い替えたらどう?」 夫が通勤時に履いていく靴が、どうにもくたびれてきた。一年近く前から、そろそろ靴を買い替えようと、夫はネットで検索し、出掛けたときに靴屋を見かけると、良さそうな靴はないか、眺めてはいたようだが、どうも、これ、といったものが見つからないらしい。 夫がここまで同じ靴を履きつぶすのは、初めてかもしれない。夫は靴にはうるさいほうで、あれこれ、横文字のメーカー名を口にしては、ここのは靴底が張り替えられるんだ、とか、こういった革靴は足になじんで
私たち夫婦は、とにかく食べ物が好きだ。 それもあって、食事中や晩酌中には、飲食店の厨房に密着した動画をよく見ている。 どこのお店も本当に手際がいい。仕込み、調理、提供で大わらわなはずなのに、厨房がピカピカだったりすると、見ていて胸のすくような気持ちになる。 その日見ていたのは、若い店主が営むお好み焼き屋さんの動画だった。 ジュージュー焼かれる、美味しそうなお好み焼き。その魅惑的な映像を眺めていると、夕飯を食べたばかりのお腹が、きゅるきゅる音を立てた。 どうや
目に入れても痛くない。 そんな表現がある。 近頃、SNSなどの影響なのか、 「一生食べていられる」 「神ってる」 「秒でバレた」 などなど、やたら大袈裟な表現が目立つようになった。 オーバーな言い回しをするほうが、テンションも上がって、会話が楽しいのだろう。 先程、冒頭で記した 目に入れても痛くない。 は、そんな過剰表現の元祖のような気もする。 常識的に考えて、どんなに小さくとも、幼子をぐりぐり目に入れたら痛いに決まっている。しかし、 その常識すら吹
1 とうとうこの日がやってきた。 直紀は抑えきれぬ想いを胸に、帳面駅バス停に到着した。駅前の掲示板に貼られた一枚のポスターに目をやる。 春と風林火山号に乗って新宿に行こう! 弾けるような文字が躍り、そこにはバス乗務員の制服を着た女の子のキャラクターが描かれていた。何度見ても、溌剌とした明るい笑顔が可愛いらしい。 直紀はこれまで、こういった萌え系のキャラクターには全く興味がなかった。それなのに、この女の子には一瞬でグッと心を掴まれてしまった。 このポスターを
そろそろ新生活に向けての準備を始める人も多かろうと思う。 人生の様々な節目に、引っ越しはつきものだ。新生活に向けて、家電を準備したり、部屋を探したりと、芽吹き時というのはどうにも落ち着かない。 新生活というものは何もかもが新しい。 新しく住む町に慣れるまでは、目に映る全てのものが自分に抗っているように感じてしまうものだ。 数年前、埼玉に引っ越すことが決まったとき、東京生まれ東京育ちの私は、故郷から離れる切なさを感じていた。でも、なんだかんだ言って埼玉は東京から近
私が餃子を好きになったきっかけは、テレビの深夜番組だった。 高校生の頃、眠れずにテレビをつけると、これまで見たことのない番組をやっていた。刑事ドラマらしく、張り込みをしているベテランと新米、二人組の刑事が、町の中華屋に入った逃亡犯の様子をじっと窺っている。 逃亡犯は、餃子とライスを注文した。それを見た新米刑事は 「やっぱり餃子にはビールじゃないですか? ご飯なんて邪道でしょう」 と嘯く。だが、ベテラン刑事はその言葉をたしなめるように、餃子はご飯があってこそだと主張す
ねむたいと思ったときに、眠れることを幸せと思うか、怠惰と思うかは、そのときによって違う。 やることがなければ幸せと思えるが、やることがあるのに眠ろうとするならば、怠惰、ということになるのだろう。 昨日(2024年2月15日)は、まだ二月も半ばだというのに、桜がびっくりして咲き出しそうなほどに暖かかった。 つい先日、雪が降ったことが嘘のようだ。 あの日は、最初のうちは粉のように細かい雪が降っていたが、時間が経つにつれ、水分をたっぷり含んだ重たい雪へと変わった。
「ねぇ、これ買ってみようと思うんだけど、どうかな?」 夫が私に買い物の相談をしてきた。わざわざ訊くのだから値段が張るものなのだろう。そう思い、身構えながらパソコンのモニタを覗くと、そこには小さなボトルが、ちょこんと映し出されていた。 「なんだい、これは」 「導入化粧水だって」 「導入……?」 私は思わず渋い顔をした。 正直、私はお肌のケアというものに、かなり無頓着のほうだ。牛乳石鹸でバシャッと洗顔したあとはその辺の油でも塗り込んでおけば充分だと思っている。 薬
2024年7月3日。いよいよ渋沢栄一が1万円札の顔になる。 長いこと拝んできた諭吉の顔も見納めと思うと、なんとなく寂しい気持ちになる。 福沢諭吉は40年もの長きにわたって、1万円札の顔を勤めてきたわけだが、その前、元祖1万円札の顔といえば、聖徳太子だった。 聖徳太子は10人の人間が同時に話す言葉を、聞き取ることができたと伝えられている。最強のヒアリング力を誇る聖徳太子だが、我が夫も、太子様に負けず劣らずの耳を持っている。 私は同時にいくつもの音を聞くのが苦痛な
「あ」 と声を上げたときには、もう遅かった。 3個入りパックの豆腐が私の手から滑り落ち、固い床に落ちてしまったのだ。慌てて拾い上げると、1つのパックから、うっすら豆腐が漏れ出ている。 あーあ、やっちゃった。 周囲の目がそう言っているのが聞こえるようだった。 消え入るような羞恥心を感じつつ、私は落としてしまった豆腐をレジカゴに入れた。 落下の衝撃で、豆腐は開封してしまったが、端っこからほんの少し、豆腐が漏れる程度で済んだ。買って帰ってすぐに食べれば問題ない。
こうしてあれこれエッセイやら小説などを書いていると、世の中には才能あふれる人がたくさんいるという事実に直面することばかりだ。 上を見たらキリがない。 わかってはいるものの、ついつい上を見て、首が抜けそうになる。 自分には書けないような、素敵な文体を見ると、 「あー、すごい。うまいなぁ」 などと思う。 文体だけではない。 ミステリー、ファンタジー、SF、時代もの、怪奇もの、青春もの。そんな数々のジャンルを書ける人が、プロだけでなく、アマチュアの書き手にも多