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与作の木

 洗面所のドアの建付たてつけが悪くなった。
 ドアを開閉するたびに、バイーンバイーンと音がする。どうやらドアの下部分が床に触れてしまっているようだ。
 こういうときは、ドアを下から持ち上げて蝶番に隙間を作り、そこにいらなくなったクレジットカードなどを切って挟むと、ドアが開きやすくなる。蝶番に挟んだカードの厚みぶんの高さが出て、ドアが床(沓摺くつずり)部分をこすらなくなる、という応急処置だ。
 私はカードを適当な大きさに切って、ドアのに挟んだ。きちんと奥までカードの切れ端が入るよう、蝶番からはみ出した部分を金づちでトントン叩いていると、

「与作の木を切るぅ~」

 夫がそう歌い始めた。蝶番を金づちで叩く妻が、木こりにでも見えているのだろうか。私がトントンするたびに、夫は北島三郎の名曲「与作」の冒頭のみを歌い続けている。

「与作の木を切るぅ~」

 私は黙ってそれを聴いていたが、だんだんと与作が不憫な気がしてたまらなくなった。

「与作の…」
「やめてあげて」

 私は歌い続ける夫を制止した。

 北島三郎は「与作木を切る」と歌っている。しかし夫は、与作木を切ってしまっている。

 斧を片手に、与作が自分の山に入ると、切ろうと思っていた木が既に切られている。切り株を見て、呆然と立ち尽くす与作。そんな与作の哀れな姿が脳裏に浮かんできてしまった。

「与作の木を勝手に切ったらダメだよ。与作が出るとこ出たら、あなた器物損壊罪で捕まるわよ。今のうちに与作に謝っておきなさい」

 私が言うと、夫は
「ごめんなさい」
 と素直に謝った。夫の謝罪を受け、私がトントンを再開すると、今後は、

「与作と木を切るぅ~」

 と歌い始めた。

 与作と夫の仲が、急速に進展している。
 与作の木を切ってから、与作と木を切りに行くまでの間に、一体何があったのだろう。夫がどんな手を使ったかは知らないが、与作は勝手に木を切った夫のことを許してくれたらしい。

 どうやら与作は、随分と懐の深い男のようである。





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