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話を聞いてほしい話

 クレイジーケンバンドの曲に『タイガー & ドラゴン』という歌がある。サビの部分で、ボーカルの横山剣さんが
「俺の話を聞け~。5分だけでもいい~」
 演歌のようにこぶしを回し上げた後、
「貸した金の事など どうでもいいから~」
 と歌は続く。

 できることなら貸した金はキッチリ耳を揃えて返してほしいが、そんな事情を差し置いても、とにかく今は話を聞いてほしい。そういう気持ちが、私にもよくわかる。

 どちらかといえば私は話したがりなほうだ。
 思考の声は絶え間なく頭の中を流れているし、あれこれ考え始めると、それを聞いてほしくて堪らなくなる。だがそれを全て口に出していたら、私の周囲の人は迷惑だろうから我慢している。

 しかし、その我慢にも限界があり、どうしようもなくなったときは壁に向かって独り言をつぶやき続けている。テニスの壁打ちならぬ、言葉の壁打ちである。小説のネタ出しをしているときも、ああでもないこうでもないと独り言を言いながら構成を考えていることも多い。そうすることで思考を外に取り出し、頭をスッキリさせているのだが、傍から見れば、幽霊と話をしているようにしか見えないだろう。

 考えてみれば、鼻歌を歌っている人を見かけたら
「あら、ご機嫌なのね」
 で済ませられるが、独り言はそうはいかない。独り言を話している人の傍には誰も近寄りたいとは思わないし、不気味なことこの上ない。きっと今後も独り言が市民権を得ることはない気がする。

 夫が家にいると、独り言を言うわけにもいかず、その言葉はどうしたって夫に向かってしまう。夫は慣れたもので、私がああでもないこうでもないと言い始めると、その聴覚をシャットダウンすることができるらしい。器用な男である。

 私の話に夫はとりあえずの返事をする。
「ふーん」「うーん」「ほー」
 どう考えても話の中身など聞いていない。相槌が聞こえないときもあるので
「ねぇ、聞いてる?」
 確認すると、夫は、
「もちろんじゃないか!」
 わざとらしい返事をする。

 夫が話を聞いていないことを確信した私は更に話を続け、
「ねぇ、あなたはどう思う?」
 唐突に質問を投げかけてみる。すると夫は、
「わかんにゃい」
 猫を織り交ぜながら、ごまかしの回答をするのである。
「あなた、やっぱり私の話聞いてないね!」
 私が凄むと、夫は慌てながら 

「きっ、聞いてないけど、感じてはいるよ!」


 と、言い出した。

 話は聞いていない。
 でも、感じてはいる。

 これは一体どういうことなのだろう。
 私の話は言葉を超越し、体感レベルで通じる神秘の力を持っているのだろうか。それとも、結婚24年目にしてとうとう、我々夫婦はテレパシーで通じ合えるようになったのだろうか。だとしたら、素晴らしいことだ。これはまさに愛の力である。バンザイ。

 そんな気の抜けた冗談はさておき、現時点でわかっていることは、どちらにしても、
『夫は私の話を聞いていない』
 ということである。

 せめて5分だけでも、その聴覚を開いてもらえないだろうか。
 そんなことを思いながら私は一人寂しく、こぶしを回して『タイガー&ドラゴン』を口ずさんでいる。

 







 

 

 

 

 

 



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