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とんねるずが大好きっていう話

かつて世の中には「良い」と「悪い」の間の「しょうがねえな〜」という処に落ち着く事象がたくさんあった。わざわざ「悪い」と断るほうが無粋な類のダメさ。どうすれば「しょうがねえな〜」になるのか、定義づけは難しいのだけど。たとえばローリング・ストーンズは「しょうがねえな~」であり、モンティ・パイソンも「しょうがねえな~」である。ぼくにとってかけがえのない「しょうがねえなぁ~」といえば、とんねるず。昔からずっと大好きなんだ。そのことでぼく自身が周囲に「悪い」と思われたとしても、なんとも思わないくらい好きだな。

テレビやスポーツにまつわる全方位的な造詣を絶えず更新し、どんな相手にでも敬意に裏づけられた “プロレス技” を仕掛ける石橋貴明。なんにつけ周囲の予想の斜め上をゆくことに天才ぶりを発揮する “平成の無責任男” 木梨憲武。2人が組んで生じるものは、上方漫才に象徴される卓越した話芸=左脳的なユーモアとはまるで異なる、右脳的なユーモア。音楽的なユーモアと表しても良いかも知れない。

任侠コントの一幕で若頭役のはずの石橋貴明が、画面に登場するなり城みちるの「イルカにのった少年」をアカペラで歌い出したのをみたことがある。腹話術人形をもった老漫談師風情の木梨憲武が、完全に口を開けた状態で人形と会話するだけのワンコーナーをみたことがある。

理屈は何にもないのだろう。でも、ある種のグルーヴがある。最高なんだ。かつて審査員席のタモリが評した「なんだか分かんないけど、おもしろい」というそれなのである。得体の知れない彼らは、高校時代から共有していると思しきリズムにのってダンスミュージックのように暴れ、おもしろいとかっこいいを毎週ぼくらへ同時に届けてくれた。

ダウンタウンにしても、ウッチャンナンチャンにしても、爆笑問題にしても、ナインティナインにしても、人気コンビはたいてい業界に一山いくらの売れ方を目された番組(コミュニティ)に参加し、そこでの共闘を経てから独り立ちしてきたが。とんねるずの場合、師匠も養成所もない身でコンテスト番組を勝ち抜くと、以後も芸人とはさほど群れることなく、代わりにアイドル・アーティスト・アスリート・アナウンサー・俳優・作家・放送局員・一般人などとの“他流試合”を通じて地位を高めていった。

とりわけブランディングに大きく関わったのは、音楽界での活躍だろう。音楽的なユーモアセンスとともに、実際の音楽作品の素晴らしさについても語りがいのあるコンビだ。

日本のテレビ芸人が出すレコード/CD作品は、持ちネタやキャラクターが旬のうちに音楽市場にも参入してみたという路線か、敢えて芸人らしさを覆す方へ挑んだという路線かの二択である。日頃ハダカになるのだって抵抗がない芸人でも、異分野に飛び込む際は多少なりとも引け目を感じるもの。また音楽のフォーマットに個性を落とし込むには相当な歌心も必要なため、正直いって、歴史上この手の作品は中途半端な出来がほとんどだ(狙いどころではないユーモアによって結果的に面白がられることは、どちらの路線の作品にも多々ある)。

対してとんねるずは、まったく物怖じしない性格のうえ歌心もある。三の線でも二の線でも、やるとなったら全身全霊でやった。正式デビューシングル「一気!」(1984年)と次作「青年の主張」(1985年)は、大半が寸劇で構成されているノベルティソング。そして初の大ヒットシングル「雨の西麻布」(1985年)は、セリフの胡散くささにこそユーモアが残されているものの、本編は正統なムード歌謡である。彼らはどちらの路線もすぐモノにし、結果を残している。

テレビバラエティ黄金期に天下を獲ってからは、“音楽的野心もあるノベルティソング”という、芸人はもとより本職のアーティストもそうそう形にできない高みへ到達。すなわち、秋元康&後藤次利とのタッグによる「ガラガラヘビがやってくる」(1992年)、「がじゃいも」(1993年)、「フッフッフッってするんです」(1994年)、「ガニ」(1994年)という、ミリオンヒットも含む一連のシングルである。中でも「ガニ」は、今聴いても身震いするほどの完成度だ。

ヘヴィメタ調にのって野蛮極まりない絶叫の掛け合いから始まるのだが、サビまで来たとたん、流麗なラテンソウル調に切り替わるという度肝抜く展開。異なる2つの音楽が抱き合わせられている点から、90年代版「ハイそれまでョ」という解釈もしたくなる。

終始2人のパートが交互に連なっていく中、ヘヴィメタの部分ではバブル期を金切り声で彩った石橋貴明が、ラテンの部分では白々しい艶声を自在に操る木梨憲武が、それぞれ本領発揮。ツッコミ不在の無定型コンビである彼らのコンビネーションが、ある意味テレビよりも分かりやすく集約されている。ほんと別格。こんなの、他の芸人たちは誰も真似できないだろう。

ああそうそう、忘れてならないのは、一方でダンスミュージックをお茶の間に鳴らすメディアとしての足跡も凄いのだ。

古くは、映画『ブレイクダンス』(日本公開1984年)にターボ役で出演したブガルー・シュリンプを番組に引き込み、ダンスコーナーを主宰。後にEXILE創始者のHIROが「全国のダンサー20万人くらいが持ってましたよ、ビデオ」と語っており、はからずもシーンに多大な影響を与えていたらしい。またブガルーをモデルにしたコントキャラ“ストロベリー”は石橋貴明の代表作(キレッキレだった“ストロベリーダンス”の衝撃は今も色褪せない)。ぼくらアラフォー世代では、とんねるず先行で欧米のリズムセンスなるものを知った人も多いと思う。

フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげです」では、石橋貴明がプリンスやM.C.ハマー、木梨憲武がマイケル・ジャクソンなどのMVパロディ(カット割りまで完コピした上でボケまくるビデオ)に度々挑戦。人気絶頂のハマー本人を招く展開にもなった。

チェッカーズ「ONE NIGHT GIGOLO」(1988年)は発売からほどなく、木梨憲武がイントロでひとしきり踊った直後に頭をはたかれるギャグと不可分になった。もはや、サックス聴くと笑っちゃう。

近年もリバイバルした荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」(1985年)は、90年代前半のうちにシリーズコント内に組み入れられ、とんねるず発案の振り付けがやがて荻野目のステージで正式採用に至った。同時期に渋谷哲平「Deep」(1978年)のプチリバイバルというのも起きていたが、そちらでの2人の着眼点もやはり珍妙なダンスである。

30歳以上の一般人を出場条件にしたワンコーナー「SOUL TUNNELS」も鮮烈な印象だ。70年代のダンスフロアの熱狂が生々しく伝わる企画だった。他に観衆を相手にした企画だと、日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』のほうで、石橋貴明による男性ストリップバーでの即興ダンス、木梨憲武による大滝愛子指導のもとでのバレエ公演、それぞれオリジナルチームを率いてのエアロビクス選手権挑戦なども各時期に反響を呼んだ。うまいヘタはともかく、なんでも堂々と踊るのである。

そして、平成の終盤戦に2人が仕掛けた大型のメディアミックスといえば “野猿” と “矢島美容室”。日々閉塞化してゆくテレビ界で突破口を模索した結果、繰り返し選択したものがダンスミュージック主体のユニットだったことは実に合点がいく。それこそがとんねるずの最たる原動力だからだ。とりわけ矢島美容室はセルフオマージュの意味合いが強く、シングル群はいずれもディスコ路線、皆がソウルディーヴァ風のコスプレをする中で石橋貴明のキャラには再び“ストロベリー”と名付けられていた。

踊るように暴れ、暴れるように踊り、時々歌う。とんねるずの約40年史を一行で表すならそんなところだろう。

2018年3月22日に30年間続いたフジテレビ木曜21時枠が終焉して早1年余り。もはや淋しさを通り越して、2人が毎週揃ってテレビに登場していたことが奇跡のように思えてきた今日この頃である。今後の本格再始動については大規模なコンサート構想もあることが木梨憲武から明かされているが、現時点どんな進捗状況なのだろう。そうなったあかつきには是非、重苦しい時代の空気などそっちのけでナンセンスに暴れるところをみたい。

とんねるずは、日本のエンターテイメントの必要悪。公序良俗を唱え過ぎるがゆえ、かえって下品になった世の中に、今なおカタルシスという名のトンネル貫通をやりのける「しょうがねえなぁ~」のカリスマなのである。



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