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「完璧さを求めた昭和」、「不完全さを愛すると決めた平成」。では令和は?


 わたしは昔の名曲が好きである。

 毎朝一時間ウォーキングをしているのだが、その際にはいつも昔の名曲を聴きながら歩いている。あかるい気分のときはピンクレディやモーニング娘。などのアイドルの曲、ちょっとくらい気分で聴きたいときは中島みゆきさんや吉田拓郎さんの曲などを聴く。

 いつもYouTubeでその昔の名曲を聴いているのだが、そうした昔の名曲のYouTubeのコメント欄には、かならずといっていいほど書かれている言葉がある。
 それは「昔のアイドルの方が可愛かった、品があった」「昔の名曲は深い、今の曲は薄っぺらい」「今の歌手には昔のような名曲はつくれない」といった種類ものである。

 名曲にかぎらずYouTubeにあがっている、昔のテレビやアニメといったコンテンツには、かならずといっていいほど「昔の方がよかった」といわれるのは、YouTubeのコメント欄のあるあるといってもいいかもしれない。


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 たしかに昔のテレビは面白かったし、完成度が非常に高いと思う。
 たとえば昔のアイドル――わたしはピンクレディやモーニング娘。が好きなのだが、曲もダンスも昔のアイドルの方が好きだし、そのアイドルのPVなどを見ているとわたしも「今のアイドルにはない、色気や個性があるなぁ」と思う。
 しかしだからといって、手放しで昔を肯定するのも、それもまた少々疑問ではある。

 よく昔に活躍したアイドルや芸能人が、テレビのバラエティ番組で昔の芸能界について暴露することがある。
 殺人的なスケジュールで寝る暇もなかっただとか、あまりにも忙しくて当時の記憶が一切ない、であるとか。
(もちろん今の芸人さんなども「忙しくて寝てない」だの「休みが何カ月もない」という話もするので、そうした忙しさは芸能界にはつきものなのかもしれないが、昔の芸能界はそれがさらに酷かったように思う。)

 殺人的な忙しさだけではない。昔の芸能界は給与の面でもおかしいところがあったという。
 人気の絶頂期で一年中不眠不休で働いていたにも関わらず、当時は給料制でOLほどの給料しか貰えてなかったであるとか、時給に換算するとコンビニのアルバイトよりも安かったであるとか。

 その上、昔のアイドルは今のアイドルよりもかなり『完璧さ』を求められていた
 今のように誰でもアイドルになれるわけではなく、優れた容姿からはじまり歌唱力やダンス、スタイルなども一定の水準を満たさないとアイドルにはなれなかった。数こそ少なかったが、その完成度の高さから熱狂的な人気を得るアイドルも多く、社会的な現象にまで発展することもあった。
 劣悪ともいえる仕事環境の上、常に『完璧』を求められるというプレッシャー。おそらくその完璧を極めるために、会社やマネージャーの監視も強かったことだろう。
 だからこそ、昔のアイドルはよく絶頂期に辞めることが多かった。有名なのはピンクレディや山口百恵など。その時代の頂点のアイドルだったにも関わらず、彼女たちは自らの意志で輝かしい芸能界から去った。
 



 わたしはお笑い芸人さんが好きなのでよく昔のエピソードを聞くのだが、そうした『完璧さ』を求める風潮はアイドル業界に限らず、昔の芸人の世界にもあったと思う
 たとえばM1の舞台はいまでこそまだアットホームな雰囲気があるが(それでも当然出演者の芸人さんは酷く緊張していると思うが)、第一回目のときの雰囲気は異常なぐらいの緊張感に包まれ、ほとんどの出演者や現場のスタッフはその緊張感に耐えきれず吐いていたのだという。
 さらに審査員は今よりもかなり厳しく、何と50点という点数が出ることもあった(今のM1はどんなに低くても80点を下回ることはない)。今のM1で50点代なんて出したらその場は騒然となり、ネットニュースになるだろうし、もしかしたらその審査員は炎上するかもしれない。だがその当時はそれが普通であったのだ。
 M1だけではない。テレビのバラエティ番組の現場も昔の現場は今の現場に比べてかなり緊張感に包まれていたらしい。よく言われているのは昔のプロデューサーや現場のカメラマンは怖いひとばかりで、「芸人だったら死ぬようなことをしてみろ」という考えのもと、今では考えられないような無茶な要求をされていた。
 当時の芸人さんもそれになんとか応えようとし、毎回酷い吐き気を堪えながら現場に向かっていたのだという。

 昔の芸能界は常に『完璧』を求めていた。
 だからこそ、どのコンテンツも完成度が高かった、と言えるだろう。



 『完璧を求める』、というのはなにも芸能界にかぎったことではなく、その時代の空気自体もそうだったのではないだろうか。たとえば求める人間像、というものが現代よりも昔の方がかなり厳しかった。
 「日本人ならば最低こうしなければ」というパッケージが決められ、そのパッケージに満たさないものは、まるで人間扱いされなかった。

 たとえば女は結婚しないといけない、男は出世しないといけない(無職なんてもってのほか)といったもの。
 しかし今は独身でも無職でも白い目で見られなくなった。
 それまでは「何で結婚しないの」「何で仕事辞めたの」とその事実だけで人間を否定されかねなかったが、今では「まあ、そんなこともあるよね」ぐらいで流されるようになった。
 なによりそうした自分を自分で責めなくなった。それは社会全体が『人間の不完全さ』というものに昔より寛容になったからではないだろうか。

(そう聞くと、「いや、でも今はコンプライアンスとか規制が昔より厳しくなったではないか」と反論されるかもしれないが、それは今の日本が昔のような目に見える『こうするべき』というパッケージを失ってしまった副作用のようなもので、いまに落ち着くと思うし、やはり全体的にみれば日本は昔にくらべて他人を赦すようになったと思う。)




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 わたしは昔の名曲や昔のテレビが好きである。
 「昔の曲の方がよかった」「昔のアニメやドラマの方がおもしろい」と言われれば深く共感するし、大きく頷いてしまう。

 だけどその後にふと、思う。


だけど昭和が終わり、平成の世が始まったときに――わたしたちはそれまでの完璧主義を捨て、“人間の不完全さ”を愛すると決めたのではなかったか?」と。

 


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