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夏の雷と、冬の雷

今朝は眩しいほど明るい陽が部屋に差し込んでいましたが、同時にゴロゴロと地鳴りのような雷の音が聞こえました。しばらくすると大粒のあられが勢いよく降り出し、私と娘は窓から外の様子を眺めていました。

「ママは、雷といったらどの季節を思い出す?」

と娘が私に尋ねてきたので、寒そうな外の景色を見ながら考えてみました。私の雷のイメージで真っ先に浮かんだのは、夏。

「ママは夏かな。○○(娘)は?」

と聞くと、

「冬かな。」

と答えました。

小学生の頃の夏の楽しみはプールでしたが、泳いでいるときに突然雷が鳴り出すことがあり、そんなときはプールから上がるよう先生に促されました。プールサイドで体育座りをしながら私は、「早く雷がやまないかな。早くプールに入りたいな。」と思い、雨空を眺めていました。

真夏に外を歩いているときに、雷が鳴り、突然雨が降り始めると、幼心に傘に雷が落ちるのが怖かったので、傘は差さずにずぶ濡れになって歩きました。外は暑いので、雨に濡れて気持ち良かったし、ずぶ濡れになることすら楽しんでいました。

プール、土砂降り、焼けたアスファルトに雨の匂い、夕立、ずぶ濡れ。

私の雷から連想することは、夏らしいものばかり。

現在私の住む富山県では、初冬の雷を「鰤起こし」と呼びます。

由来としては、この時期に日本海を回遊している寒ブリが、初冬の雷と合わせて獲れ始めることから、漁師が網を「起こす」というのと、寝ている鰤を「起こす」という意味をかけて鰤起こしといわれる。

富山に越してきた当初は、この時期に地鳴りのように響き渡る雷に驚いたものですが、20年以上たった今となれば、私にとっても冬の風物詩となっています。「雷=鰤」の頭になってきました。

富山で生まれ育つ娘にとっては、この時期の雷は当たり前のものになっていて、雷から連想する季節も「冬」になるんですね。高校を卒業後は県外の大学に行きたいと言っている娘ですが、その後帰ってくるのか来ないのか。

違う土地で生活し、さまざまな体験をし、外側から見る富山に何を感じるのか。

私は若い頃、故郷から離れたいと思っていました。この窮屈な気持ちは、この土地柄のせいだと思ったこともありました。しかし長野を離れてから、生まれ育った土地や人の温かさを思い出し、故郷に愛着が湧くようになったのです。

一度離れてみると、気付くことや見えることがあるんだと実感しています。

数年後に娘が離れていくことは寂しいですが、故郷を離れて初めて分かる故郷の良さに気付くこともあると思うので、娘にはこれからいろいろなものを見たり、体験して欲しいものです。






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