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田舎で過ごした遙か昔の思い出が、今の私を癒してくれる


果樹農園を営む農家のお嫁さんであるkakiemonさんの記事を読んで、果樹農業をしていた実母の実家で過ごした夏の日のことを思い出した。

(kakiemonさんは農家に嫁ぎ、慣れないお仕事にご苦労された時期もあったけれど、現在は一生やっていきたい仕事とおっしゃるくらい果樹農園のお仕事に愛着を持っていらっしゃる素敵な方です。*^-^*)

お盆になると、実母の実家には実母の兄弟夫婦とその子どもたちが大勢集まった。総勢23人。子どもたちだけで11人。いとこの中で私は下から2番目。上のいとこたちとは歳が離れていた。

歳の離れたお姉ちゃんたちは家の手伝いをしていて、幼い私はお兄ちゃんたちと行動を共にすることが多かった。

いとこのお兄ちゃんたちとお墓参りをした後は、帰り道にある公民館で卓球をして遊んだ。とはいえ、お兄ちゃんたちと対等に戦うことはできなかったから、見ていることの方が多かった。けれど、お兄ちゃんたちはときどきラケットを私に譲ってくれた。

桃の収穫の手伝いはするものの、いとこのお兄ちゃんたちはあっという間に桃の木の下で腰をかがめながら追いかけっこをし始め、時には爆竹で遊んで、おじや近所の人に怒られていた。

夕方になるとお兄ちゃんたちと近くにある銭湯に行った。お風呂上がりのホームランバーや瓶のジュースの味は最高だった。

夕食時のビールは近所の商店のおじさんが配達してくれたけれど、ジュースはいとこのお兄ちゃんとその商店に買いに行った。買うのはいつもスプライト。それと一緒にアイスも買ってくれた。

夜になると二間続きの和室に親戚が集まり、賑やかな夕食が始まる。叔母たちは食事中でも台所と和室を行ったり来たりして、ビールやお酒、お料理を運んでいた。本家の叔母はほとんど台所に立っていた。

いとこのお兄ちゃんたちは早々に食事を済ませ、花火と懐中電灯を手にして外に出る。田舎だったため、夜になると辺りは暗い。そんなことは気にもせず、毎年恒例の花火大会が始まる。私は手持ち花火や線香花火に火をつけてもらって遊んでいた。その中でも途中で何本にも火花が分かれるタコ花火がお気に入りだった。

いとこのお兄ちゃんたちはロケット花火やねずみ花火、吹き出し花火に次々と火をつけ大騒ぎをしていた。私もやってみたかったけれど、怖いし、あの勢いにはついていけなかった。

激しい花火たちをやっつけたおにいちゃんたちは、最後のシメに束ごと線香花火に火をつけた。風情のかけらもなかったが、お兄ちゃんたちを見ているだけでも楽しかった。

お兄ちゃんたちのやんちゃな笑顔、騒ぐ声、お酒を飲んで赤ら顔になった叔父たちの笑顔、白い前掛けをつけてキッチンに立つ叔母たちの笑顔や明るい話し声、そのお手伝いをしているお姉ちゃんの振り向く笑顔。

卓球台が置かれた公民館、「小川の湯」という名の銭湯、近所の小さな商店までの道、目の前に広がる緑の景色、畑や農園、外にトイレがあった古い家、夜の花火、そして桃の木。

あの頃のことを思い出しているうちに、私は癒されている感覚になった。思い出しているだけで、顔の筋肉が柔らかくなり、心も温かくなった。お兄ちゃんたちの後ろに必死でついていっていたあの頃の自分も愛しく思えた。

お盆には親戚中が集まり、食事や部屋の準備、布団の用意で大変だっただろうに、いつも叔母は笑顔で明るく迎えてくれた。

私の嫁ぎ先は本家であり、昨年のお正月までは年に2回、親戚が集まっていた。迎え入れるための準備は大変だけれど、年に2回の集まりで、みんなが楽しく過ごしているのを見るのが好きだ。大人たちは会話のキャッチボールにならないくらいの勢いでしゃべっている。子どもたちは別の部屋で好きに遊んでいる。

子どもたちが大人になって、年に2回我が家に集まった賑やかな日のことをいつか思い出して、顔と心が緩んでくれたら嬉しい。

親戚のみんなが、安心して我が家に集まれる日がくるのを待っている。



今日は「犬」のフレーズがなかったので、三郎に登場してもらいます。

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