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好きな人の前でリラックスできるか

亡くなった夏目雅子が、夫である伊集院静のどこが好きかと聞かれた時のインタビュー映像を見たことがあり、今でも心に残っている。
「私、今まで付き合っていた男の人の前だといつも気取ってしまっていたんですよね。でも彼の前では、お腹をこわしてる時にトイレの前で待っててもらっても恥ずかしくなかったんです」
一言一句までは覚えていないのだが、そういう内容だった。


いい話だな〜〜〜と思った。
トイレの前で待っててもらっても大丈夫なぐらい心を許し合っている感じ。
むしろ自分から「おなか痛い。そこにいて」って言えちゃうぐらいのリラックス感。
そういうの大事だよな。
そんな時にまで甘えられたら本物、というか。


あと、夏目漱石が後の妻になる鏡子と初めて会った時の印象を「歯並びが悪いのを隠しもせず大口開けて笑っていたのがよかった」と語ったエピソードも好きだ。(注:大意です。「大口」は言ってなかったかも。)
まあその後は不仲でおなじみの夫婦になってしまうのだけど、そういう気取らない所を好きになってもらえるのっていいな〜と思う。


私ってそういうのが全然ダメなのだ。
好きなおじさまの前だと、すぐ気取ってしまうのだ。
もともと劣等感のかたまりだから、素の自分がなかなか出せない。


メイクを落としてすっぴんになるのも、付き合いが浅いうちは絶対にできない。
そもそも好きなおじさまとお泊まりできることが少ない人生だということもあるが、たとえ泊まれた時だって、美容の中で絶対にやってはいけないとされる「メイクを落とさないで寝る」をやってしまうぐらいだ。
素顔に対する自信が全然ない。
おじさまが好きなのはメイクをしている時の私なのじゃないかと思ってしまう。


トイレの話ばかりでアレなのだが、先だってここで書いた彼には付き合い初めの頃「花野はトイレにも行かないと思いたい」と言われ、二人の間ではそういうテイにしていた期間もあったぐらいだ。お互いギャグなのだが。
彼がトイレの機能について話してきても、
「私トイレ行ったことないからよくわからない」
「あ、そっかそっか」
みたいな感じで。
男尊女卑的な考え方は全くない人だったが、彼にとってはそういう幻想も必要だったのだろうなと思うし、それは個人の趣味みたいなものだから問題だとも思わない。


ただ、私はその辺から「気取らなくてはいけないのだ」という考えが植え付けられてしまったのかもしれない。
その後好きになるのが一見冷たそうな(あるいは実際冷たい)おじさまばかりで、リラックスしてる場合じゃない恋が続いたせいもあると思う。


しょっちゅうデートできるなら違うのかもしれないが、私の場合は思うように会えない恋愛ばっかりだったし。
一度のデートで、ちょっと緊張がほどけた頃にはもうお別れの時間で、次に会うのは相当先で、会う頃にはまた緊張した状態に戻っている、みたいなことが多いのだ。


気取っていたら疲れるし、気取っている内は距離も縮まりにくいということもわかっている。
ちょっとやそっとじゃ嫌われないのだという安心感があればリラックスできるんだろうけど、要するに自分に自信がないのだ。
ため息。


って、もうこの悩みはnoteで2万回ぐらい書いている気がするが、愚痴らずにいられずにまた書いちゃった。
ごめんごめん。
(↑みたいなリラックス感が持ちたい)








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