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葉巻と、それを吸う愛しい人 episode-10

 ジェシーにボーイフレンドができた。
会社の同僚の一つ年下の男で、支社から異動して来たばかりの彼が例の上司とうまくいかずに悩んでいた時に、ジェシーにその上司のことを相談してきたことで意気投合したのだという。
「なにせアイツの悪口と対処法なら何時間でも語れるからね。3軒はしごして飲んでる内に…なんか仲良くなっちゃったの」
「じゃあ、何だったらアイツがキューピッドみたいなものだと思うと笑えるわね」
「あなた初めて役に立ったわよって教えてあげたいわ」
そう言って2人で笑った。

 ボーイフレンドができたジェシーはデートが忙しくなり、マリアと遊ぶ機会が減ってしまった。マリアは面白い友達と会う回数が減る淋しさを感じたが、一方ではジェシーに会いすぎると、フランクとのことで不自然なことが出てしまうのも恐れていたので、少しホッとする気持ちもあった。

 ある日フランクが家族で食事をしている時、そのボーイフレンドの話になった。主にロージーとジェシーで喋っている。
「今度ウチに連れてらっしゃいな」
「ん」
「でもマリアは淋しがってるんじゃない?あなたがそのデニスとばっかり遊んでるから」
「そうなのよね。マリアもそう言うから、今度デニスの友達をマリアに紹介しようと思ってるの。似合いそうな人がいるって言うからさ。でもマリアは男の人に興味ないって言うのよね。結婚もしなくっていいなんて言っちゃってさ」
「まあ。あの娘はなんだってそんな」
「でしょう?あんな美人なのにもったいない。彼女を好きな男なんてたくさんいるのよ」
「大学時代は付き合ってる人いたじゃない?」
「そう、あの顔のいい奴でしょ?でも半年もしないで別れちゃったのよ、マリアから。相手のこと好きかどうかわからないとか言ってね」

 ロージーとジェシーの会話は、黙って聞いていたフランクの心を様々に乱した。マリアに男ができる、という想像は最近フランクを一番苦しめているものだった。
定期的にマリアと会い始めた最初の頃は        自分にはローズがいるのであるから、マリアにも誰か別の男がいるのならその方がいいと思っていたこともあった。その方がマリアにとってフェアではないかと思ったのだ。
しかし、マリアと会えば会うほど、マリアを知れば知るほど、セックスを重ねれば重ねるほど、彼女を独占したい気持ちが日に日に強まってしまった。この可愛い声を誰か他の男が聞き、感じやすい身体を誰か他の男が抱くのかと思うと、今はもう、とてもじゃないが耐えられなくなった。他の男がマリアに指一本触れるのさえ嫌な気がする。

 しかし、そんな考えがあまりに身勝手なのはわかっていた。自分だけ家庭を守りながら、マリアのことは独占したいなどと言えないことは百も承知だった。

 マリアがジェシーに「男に興味がない」と言ったというのは、もちろん自分との事を隠すためだろうが、「結婚しなくてもいい」と言ったというのは……自分がローズと別れられないという事を承知しているのだとしたら、マリア自身は自分との結婚は望まずに付き合い続けてくれるつもりなのだとしたら、それはあまりにマリアがかわいそうだった。しかし彼女はそのぐらいの我慢をしかねない気がする。
だからこそ、過去の男に対する嫉妬は口にできても、マリアの将来に関わる男が現れた時に、自分が独占欲から引き止めるようなことは絶対にしてはならないと思う。彼女の将来を犠牲にさせる訳にはいかない。
自分がローズと別れる選択をしない限り、いつかマリアと別れなくてはならないのは確実なのであるから   

「パパ、どう思う?」
「んー?」
「マリアはなんであんな厭世的なんだろ」
「さあ…」
「でもいい男と出会ったら前向きになると思うのよね、きっと」
「…ああ。マリアのことを本当に幸せにしてくれる奴がいりゃいいがね」
フランクがそう言うと、ジェシーもローズも口々にそれはそうだと言い、そこからは俳優の誰みたいな人がいいんじゃないか、歌手の誰の方が誠実そうだ、などと好き好きに喋り始めたので、フランクは笑って放っておいた。

 その数日後にフランクがマリアの家に行った時のことである。
その日はマリアが、テレビのトークショーに人気のコメディ俳優が出るのを観たいと言うので、ソファでフランクの胸にマリアが寄りかかるような体勢で、2人で笑いながらテレビを観ていた。
ところへ、ふいに電話が鳴った。
2人は顔を見合わせた。マリアは飛び起きて、
「どうしよう!ジェシーかもしれない」
とフランクに助けを求めるような顔で言った。
「あたしはここで黙ってるから出りゃいいさ」
マリアは不安そうな顔で2、3回頷くと、受話器を取った。
マリアがハロウ?と言う前にジェシーが元気な声で「マリアー?」と言ったので、「ハァイ!ジェシー」と明るい声で調子を合わせられた。
フランクは、マリアが直前の不安そうな様子から一変して明るい声を出したので、こんな状況ながらちょっと可笑しくなった。声を出さずに笑いながら、指に挟んだままだった葉巻に火をつけた。
「うん。…ああ…うん……ええっ?!いやよ、行かないって言ったじゃない」
フランクは、ソファの背もたれに肘を掛けて葉巻を吸いながらマリアの横顔を眺めている。
「だって私…本当に彼氏とかいらないのよ。…うん…うん…そうね、それは会いたいと思ってるけど…」
フランクは会話の内容を察するに、ジェシーがこの前マリアに男を紹介すると言っていたあの話だろうと思った。すると急に、また例の厄介な独占欲が湧き上がってきてしまった。
マリアはソファの端に座り、背中を向けるように電話をしていたのだが、フランクは腕を伸ばしてマリアのことを後ろから抱きしめた。
マリアは驚いたが、同時に嬉しくなって胸がキュンとした。ジェシーに不自然に思われないように普通に話し続けながら、フランクの腕に頬を寄せた。
「うん…うん。わかったわ。でもその後で断っても怒らないでよ。っていうか私が断られるかもしれないけど。…あははは!…うん…わかったじゃあ火曜日ね。デニスによろしく。…うん。おやすみ」

 マリアが電話を切ると、フランクが笑いながら
「スリル満点だな」
と言うので、
「んもう嘘!わたし罪悪感で死にそうだったわ!」
と言いながら、後ろから抱きしめられたままの腕の中で身体の向きを変えてフランクに抱きついた。フランクはマリアにキスをしながら、
「ジェシーはなんだって?」
と半ば知っていながら聞いた。
「…ん、デニスの友達を私に紹介したいから来週一緒に食事しようって…」
「へーえ」
「私この前そう言われた時に断ったのよ。だけどもう段取っといたからって…」
「お前さんが1人で淋しいだろうと思ってるんだろうね」
「………」
「それで火曜日に会うのかい?」
「うん…その時デニスのことも紹介するからって。私もデニスには会いたいと思ってたから…」
「ふうん」

 フランクは、その男はマリアのことを気に入るに決まっていると思う。そうしたらどうなるだろう?肩を抱く?キスをする?キスをされたマリアが可愛い声を上げたらその男は我慢できなくなるだろう。そうしたら……
想像するだけで嫌になる。しかし嫌になる自分のことも嫌になる。ずいぶん自分も身勝手な男だと呆れる。
だからマリアのことを引き止めることはできなかった。

 マリアはマリアでフランクが引き止めてくれたら嬉しいと思っていた。もちろんもう約束してしまったし、デニスには会いたいと思うから、本当に引き止められたら困るのだが、過去の男に嫉妬すると言ってくれたことや、この前知らない男に絡まれた時に「あんな奴に連れて行かれちゃたまらない」と言ってくれたことを思い出しては幸せを感じていたので、今度も引き止めてくれたらいいなと思ったのだ。しかしフランクは引き止める様子が無かった。
もちろんマリアは他の男になど全く興味はないし、当日も適当に切り上げて帰ってくるつもりだ。それが自分ではわかっているのに、
「私、行っちゃってもいい?おじさま」などと聞くのは、最初から欲しい答えを掲げながらフランクを試すようなものだ、と思う。
そんなことは、マリアには言う勇気が無かった。

 お互いが同じことを望みながら、それを口にすることができないまま火曜日が来た。

 マリアは仕事を終えてから、ジェシー達との待ち合わせの店に向かった。
ジェシーとデニスはもう来ていた。入口から入って来たマリアを見つけ、こっちよ!と手を振っている。マリアも手を振ってテーブルへ向かった。
「デニス、これがマリアよ。マリア、これがデニス」
「やあ!よろしく」
「こちらこそ」
デニスは明るくて優しそうな青年で、ジェシーによく似合っていた。これは一晩で仲良くなってもおかしくなさそうだな、とマリアは安心した。
3人がひとしきり挨拶を済ませたあたりで、デニスの友達、すなわちマリアに紹介されるという男が店に入って来た。デニスが手を上げるとすぐに気付いてこちらへ来た。
「ジェシー、マリア、彼がキースだよ」
ジェシーとマリアが「初めまして」と言うと、笑顔で「よろしく」と言ってそれぞれと握手をした。整った顔立ちで無精髭をきれいに刈りそろえているのが繊細そうな印象だった。顔が良いので、ジェシーはきっと心でマイナス1ポイントを付けているんじゃないかと思って、マリアは内心可笑しかった。

 マリアは初対面から誰とでも気さくに喋れるタイプなので、4人は食事をしながら色々な話をした。キースはあまり喋らないタイプのようだが、考え方は真面目そうだった。悪い青年ではなさそうだが、こうして他の男に会っていると余計にフランクが恋しくなって、しばしば上の空になってしまう。
「って、聞いてる?マリア」
「あ、ごめん、ぼーっとしちゃってたわ」
「この後もう一軒行こうって話してたのよ。最近デニスとよく行くいい店があるの」
「行こうよ、マリア」
とデニスも誘ってくれるが、マリアはフランクに会える日じゃないと分かっていてももう帰りたい。
「ありがとう、でも私明日早く起きなきゃいけないから今日は帰るわ。3人で楽しんできて」
と笑顔で断って帰って来てしまった。
(後でジェシーに怒られそうだな)
と思ったが、家で1人でフランクのことを想っている方が良かった。
(こんな時におじさまに電話できたらいいのにな…)
会えなくてもせめて声だけでも聞きたかった。しかしフランクの家に掛けるわけにもいかない。自由に電話をできる関係ですら無いのだ、と改めて自覚させられるようで悲しい気持ちになる。部屋に帰ると葉巻の匂いがして、更にフランクが恋しくなった。しかし次にフランクに会えるのはまだ3日先だった。

 同じ夜、フランクもまたマリアのことを想っていた。捜査を切り上げ家に着いたのは深夜1時過ぎだったが、リビングのソファにロージーが1人で本を読んでいるだけで、ジェシーの姿は見えない。
「ジェシーは?」
いつもはジェシーが何時に帰ってきても気にしないのだが、思わず聞いてしまう。
「今日はデニスの友達をマリアに紹介する日なのよ。まだ帰って来てないわ。盛り上がってるのかしら」
「ふうん」
と言って興味を示していないような顔でソファに座って葉巻に火をつけた。
その後、しばらくローズとワインを飲みながら話をしてから2人で寝室に行ったが、ベッドに入ってからもなかなか寝付けなかった。仕事中はむしろ捜査のことしか考えられなくなるのだが、仕事が終わった瞬間から急にスイッチが切り替わるようにマリアのことばかり考えてしまう。

 特に今夜は、どうかするとマリアが他の男に抱かれている姿が浮かんでしまう。そもそもジェシーが言うように、マリアに相応しい男は他にいくらでもいるはずなのだ。誰かいい男と出会ってそっちと恋に落ちたって全く不思議ではない。
考えている内に疲れて来て、こんなに他の男と会うのが気になるなら最初から止めればよかったじゃないかと自分でも思うが、それはどうしてもできない気がした。マリアだってローズのことを一言も言わないのに   
マリアは自分とローズのことをどう思っているのだろうか………?
時計を見ると2時を過ぎているが、ジェシーが帰って来る様子は無かった。

 翌朝フランクが寝足りない頭で新聞を読みながら朝食を食べていると、ジェシーがあくびをしながら起きてきた。
「おはようパパ、ママ」
「おはよう。昨夜遅かったのかい?」
「うーん3時頃だったかな。デニスの友達をマリアに引き合わせてたんだ。マリアは1軒目で帰っちゃったけど」
マリアが先に帰ったと聞いてフランクは少し安堵した。
ローズが、興味津々な様子で昨夜はどんな様子だったのか聞き始めた。
ジェシーもそれを受けて、
「デニスの友達すごく感じ良かったのよ。顔が良いから一瞬警戒したんだけど」
「あなたはハンサムな人に厳しすぎよ」
「でもさ、話したら真面目そうで好感持ったわ。あいつなら良いんじゃないかなあ。マリアは全然興味なさそうだったけどね」
「あらそう。それで先に帰っちゃったの」
「でもね、彼の方はマリアのことすごく気に入ったみたいよ。マリアが帰った後にとっても素敵な子だって言ってたわ。彼はまたマリアのこと誘うと思うな」

 フランクはジェシーの話を聞きながら、また嫉妬を感じている自分の気持ちを持て余した。マリアに会わないでいる間に、何かその男と進展があるかもしれないと思い、本当に嫌な気分になった。しかし今日から3日間は忙しすぎてマリアには連絡すら取れそうになかった。


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